2008年1月31日
デレン(前回参照)には、4歳年下のアレキサンドリアという妹がいる。いつもは、「アリー」と私たちは彼女を呼んでいるのだが、このアリーも、お兄ちゃんのデレンに負けず劣らず頼もしい。
デレンもアリーも、プリ・キンダー(日本で言う幼稚園年中)の頃から、カンフーを習っていた。
デレンのお母さんが中国系アメリカ人ということもあり、彼らにとって中国はごく身近なものだったのだ。
ニューヨーク(NY)には、マンハッタンのキャナル・ストリート界隈を初め、クイーンズのフラッシングなど、中国から移住してきた人たちが大きなコミュニティーを作っているところがたくさんある。
そのあたりに一歩足を踏み入れると、まさにそこには中国がある。
商店街の看板も、漢字が圧倒的な量を占め、飛び交う言葉も中国語。
路地をはさんで立ち並ぶ店の店員さんもお客さんも中国人ばかり。
この季節は、太陽暦にもとづいた中国のお正月、“チャイニーズ・ニューイヤー”のお祝いが盛大に行われる。
毎年、1月19日以降の新月(三日月)の日が、中国では元旦になるのだそうだ。
今年は2月7日がその日にあたるとか。
きっと今頃、NYのあちらこちらに力強く存在するチャイナタウンは、新年のお祝い気分満載の様相だろう。
商店街も、花火をかたどった火包や金銀赤などの色鮮やかな大小のちょうちんが軒先にたくさんつるされている。
花屋さんの店頭やリヤカーの即席花屋さんなどでは、ねこやなぎに、白や、ピンクに色付けされた小さな餅が、まるで梅の花のつぼみのようにたくさんつけられていたり、「新年快楽」「恭喜発射」などと、新年を祝う言葉が書かれた赤や金色のお札もつるされていたり、とてもにぎやかな飾り物がたくさん売られていたりする。
毎年、デレンの家族は私たち家族をこのチャイニーズ・ニューイヤーのお祝いによんでくれた。
私たちはいつも、マンハッタンのキャナル・ストリート界隈のチャイナタウンに出かけて行った。
危なすぎる、という理由で、爆竹はNYでは法律で禁止されているが、小さな火薬玉は大丈夫なのか、あっちでもこっちでもパンパンとにぎやかな音がしていた。
銅鑼(ドラ)や太鼓、鐘の音に合わせて、厄除けのためという、ライオンダンスやドラゴンダンスが路上で披露されていて、そのまわりを大勢の見物人が取り囲んでいた。
食べ物屋の店先には、肉まんやあんまんの入ったせいろから、湯気と一緒においしそうな匂いが漂っていた。
たいていこの日は、デレンはダウンジャケットの下にカンフー服、アリーもカンフー服を着ていた。
なんだかいつも見るふたりとはちょっと違って、彼らはすっかりチャイナタウンに溶け込んでいた。
あれは、アリーが5歳頃のチャイニーズ・ニューイヤーのことだった。
私たちは、いつもの年のように、みんなでマンハッタンのチャイナタウンに出かけて行き、火薬玉を鳴らしたり、肉まんを食べたり、ライオンダンスを見たりして楽しんでいた。
と、アリーの血相が変わった。
ん? アリー、どうしたんだ?
私たちは、しばしアリーを見つめた。
(次回に続く)
名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。