2008年5月8日
「林世宝ではないですか?」
林さんはそう少年に声をかけた(前回参照)。
少年はびっくりして振り向き、林さんに聞いたそうだ。
「あなたは誰ですか?何でぼくの名前を知っているんですか?」
後ろから声をかけられ、先生かと思い振り向いたら、まったく知らない人が立っていたので、少年はとても驚いた様子だったという。
台湾で林さんが子どもの頃暮らした田舎。
その古い校舎の中学校で、一人の少年が壁に絵画をセッティングしていた。
この少年こそ、中学校一年生、13歳の頃の林さんだったのだ。
「私もこの学校を出たんだよ」
林さんはそう少年に答えた。
「あなたの美術の先生は尤美智(ユー・メーツ)老師(ラオス:老師は中国語で先生の意味)ではないですか?」
「そうですが、なぜ彼のことまで知っているんですか?」
「あなたの小学校も知っているよ」
「うそ」
少年はもっと驚いた様子で林さんを見つめた。
「その証拠に、このセッティングが終わったら、小学校まで案内しましょう」
林さんはそう言うと、少年と一緒に学校まで歩いて行ったそうだ。
実際には小学校と中学校はずいぶん距離があったのだが、そこは時空を超えた夢の中。 二人で世間話をしながら歩いていると、角を曲がっただけで、すぐに小学校についてしまった。
30年ぶりに見る小学校は、思いのほか古い校舎に林さんの目には映ったそうだ。
「こんなに古かったかなあ」
林さんはしばらく校舎を見つめた。
「そうそう、鐘(ツォン)老師はまだいるかな?」
「いますよ」
少年はそう言うと、林さんを教室に連れて行ってくれた。
と、なんとそこには、あの頃のままの鐘老師の姿があった。
鐘老師には、毎朝の日課があった。
朝一番の自習の時間に、何も入っていない中華饅頭ひとつと、熱いミルクを飲んでいたのだ。
鐘老師が粉ミルクにお湯を入れてかき混ぜると、台湾の朝の強い日差しが窓から差し込み、パウダーと湯気が彼の周りに白く立ちのぼり鐘老師が霞んで見えた。
「相変わらず先生はミルクを飲んでいるんだな」
林さんはしみじみそう思ったそうだ。
鐘老師は、中国本土の軍人だった人で、蒋介石(しょう・かいせき)と一緒に台湾に渡ってきたそうで、とても厳しい人だったという。
軍人だった彼の口調はいつも命令形で、授業中は背筋が伸びて姿勢が良くなるからと、椅子に半分しか腰掛けてはいけないと言われたそうだ。
いつも1メートルくらいの細い竹の棒を持っていて、生徒の姿勢が悪かったり、眠りそうになったりすると、竹の棒でビシッと叩かれもした。
「あれは痛かったなあ」
そう思いながら、林さんは鐘老師の子どもたちのことも思い出していた。
彼には三人の子どもがあり、小学校では成績も態度もよく、評判の三兄弟だった。
小学校を卒業すると、彼らはみんな都会の優秀な中学校に進学していった。
ところが、中学校に入った途端、長男は不良になってしまった。
続いて入っていった弟たちも、すぐに不良になってしまった。
おそらく鐘老師は家でも学校と同じく厳しい父親だったはず。
それに反抗してなのかどうかは分からないが、子どもたちはみんな不良になってしまったという
「鐘老師のような厳しい教育はどうなのかなあ」
夢の中で林さんは13歳の自分とそんな話をしたそうだ。
すると廊下の向こうから、ものすごい勢いでひとりの少年が走ってきて林さんにぶつかった。
見ると…、
(次回に続く)
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名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。