2008年5月15日
それは、7歳の頃の林少年だったそうだ。(前回参照)
林少年は裸足だった。
「ねえ、ちょっとお話をしてもいいかなあ」
たまらず林さんは少年に話しかけた。
「ぼく、遅刻してるんだ、先生が怖いから早く行かないと」
少年はそう言うと、また走り出そうとした。
「大丈夫、後からぼくが先生に事情を話してあげるから」
「本当?」
少年はちょっと安心した顔になって林さんに聞いた。
「本当だよ、でも、どうして遅刻したの?」
「寝坊したんだ、誰も起こしてくれなかったから…」
「靴を履いていないけど、道は熱くないの?」
「熱いけど、我慢できるよ」
台湾の日差しはとても強く、砂利道は相当熱いはずなのにと、林さんは思ったそうだ。 当時の田舎の子どもたちの中には、この少年のように靴をはいていない子も多く、それだけ貧しかったのかなあと林さんはあらためて思ったという。
少年は、風呂敷に教科書と弁当を一緒に包んで腰に巻いていた。
そうだ、教科書はいつも弁当と一緒に包まれていたので、油のしみが付いて黒くなっていたなあ…。
林さんは懐かしくそんなことを思い出していた。
「そういえば鐘の音が聞こえないから、まだ遅刻じゃないんじゃないの?」
林さんは13歳の頃の林さんに言った。
「そうだよねえ、でも鐘が鳴らないっておかしいよねえ」
13歳の林さんが答えた。
「呉(ウー)先生(センスン:先生は中国語で男性につける敬称、日本語の○○さんのようなもの)が、また寝坊してるんじゃないかなあ」
林さんが言うと、
「何でそんなことまで知ってるの?」
13歳の林さんが不思議そうに聞き返した。
「私は昔ここにいたからわかるんですよ、そんなことより、早くおじさんを起こさないと授業が始まらないよ」
呉先生は学校の購買部のおじさんで、学校のタイムキーパーだったそうだ。
昔は自動のベルはなく、このおじさんが手で時間ごとに鐘を叩いていたという。
おじさんが寝坊してしまうと、授業が始まらない…、でも、そういうことも度々あったなあ、のどかというか、なんというか…。
林さんはそんなことを思いながら腕時計を見た。
「おじさん、腕時計してるんだ」
当時、腕時計をしている人はほとんどいなかったので、子どもの頃の林さん二人はとても感動した様子だったという。
「おっといけない、もうこんな時間だ、早く鐘を鳴らさないと授業が始まらないよ」
林さんは腕時計を見て言った。
子どもたちは急いで呉先生を起こしに行った。
その朝は、呉先生の代わりに林さんが鐘を鳴らした。
林さんは先生が起きて来たら挨拶しようと思っていたのだが、残念ながら彼はやって来なかったそうだ。
「そういえば今日は土曜日で授業は昼までなのに、7歳の頃のぼくは、なんで弁当を持ってきたのだろう」
不思議に思った林さんは、戻ってきた7歳の頃の自分に聞いてみた。
「…先生が持ってきなさいと言ったから…」
少年は小さな声で言った。
そっか、テストの成績が悪かったんだな、
林さんは思い出した。
成績の悪い生徒には、先生が土日にも勉強を教えてくれていたのだ。
日曜日も、朝から2時頃までこうした補習があったそうだ。
補習は先生のボランティアだったようだが、生徒の親の中には、
「家の仕事がたくさん残っているのに、勉強ばかりしてもしょうがない」
と文句を言っていた人もいたそうだ。
当時、台湾の田舎の農家では、子どもは学校がないときには家の仕事をするのが当たり前だったようだ。
それでも、子どもに一生懸命勉強させようとしていた先生たちの熱意を、あの頃は理解できなかったが、今の林さんにはとてもありがたいものに写ったそうだ。
(次回に続く)
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名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。