2008年8月21日
弟くんはモニカの目を見た(前回参照)。
でも、モニカはすぐに目をそらす。
お兄ちゃん、お父さん、お母さんがモニカの名前を呼んでも、やっぱりモニカはしっぽを振らないし、聞こえないふりをして無視をする。
みんながモニカのそばに寄ってきて、体を撫ぜながら名前を呼んでも、どう人間とかかわっていいのか分からない様子で、ただうつむいていた。
「じゃあモニカ、散歩に行こうか」
弟くんはモニカを家の外に連れ出してみることにした。
散歩に行けば、モニカも楽しくなるかもしれない。
ところが、モニカはどぶに落ちた。
「びっくりしました。だって、いつもくうやかいを連れていく公園へ行く途中のどぶだったんですが、くうやかいはちゃんと避けるのに、モニカはまったく気にせず、どんどん進んでいって、ボッチャーン」
モニカは弟くんの家に来るまで、訓練所から一度も外に出たことがなかった。
いわば、世間知らずの犬で、どぶの存在も知らなかったというわけだ。
モニカのいた訓練所には、訓練のために預かっている犬や訓練所の犬など、常に60頭から80頭の犬がいた。
訓練所の所長さんが言うには、その犬たちは訓練士さんたちのことを、自分の世話をしてくれたり、訓練をしたりする人ではあるが、自分の飼い主だとは思っていないのだという。
特に訓練所で生まれ育ち、一度も人間の家庭の温かさを味わったことのない犬は、訓練士さんは自分だけに愛情を注いでくれる人ではなく、自分はたくさんいる犬の中の一匹だということを自覚していているのだという。
だから、犬社会とのかかわりはできても、人にはどう接していいのか分からないのだそうだ。
モニカはまったくその部類の犬で、愛情深く自分に接してくる弟くんや家族のみんなと、どうかかわったらいいのか分からず、前出のような行動になってしまったのではないかということだった。
所長さんからそんな話を聞いた弟くんや家族のみんなは、まず、モニカに自分の名前はモニカだよ、ということを自覚させるべく、何度も何度もモニカの名前を呼ぶことにし、できる限りモニカの体を撫ぜ、抱きしめてあげることにした。
そんなある日のこと、くうとかいが家の中でいつものようにボールをくわえたりかじったり、転がしたりしながら遊んでいるのを見たモニカが、「ん? それは何?」というような顔をした。
訓練所では、犬たちにおもちゃはいっさい与えられていなかったという。
くうたちが遊んでいたボールは、モニカにとっては初めて見る、というか、認識したおもちゃだったというわけだ。
そしてその日から、モニカの「赤ちゃん帰り」が始まった。
普通なら、子犬の頃に発育段階のひとつとしてやる「あまがみ(じゃれがみ)」をやり始めたのだ。
モニカは毎日いろいろなものを噛んだ。
ボール、庭のホース、木の枝、そして弟くんの手。
家の中では、どこからか本を見つけてきて、それをビリビリに破いたりもした。
度が過ぎる遊びは叱ったが、家族のみんなはモニカのそんな無邪気な行動を少しうれしくも感じていた。
そしてそんなある日、とうとうモニカがしっぽを振った。
弟くんが言う。
「あれは、モニカのあまがみが収まり始めた頃のことでした。いつものように僕がモニカの名前を呼んで体を撫ぜて抱きしめると、モニカのしっぽが少し動いたような気がしたんです。最初は、あれ? 今、しっぽを振ったのかなと信じられなかったんですが、お母さんが、モニカがしっぽを振ってるよって言ってくれたんで、確信が持てたんです」
それは、モニカが弟くんの家にやって来て、2カ月ほどたった頃のことだった。
(次回に続く)
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名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。公式ブログは、「子育ての話を聞かせてください―I‘m proud of you―」
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