2008年10月9日
「モニカをうちの子にして欲しいと、家族のみんなに話そう」
弟くんは、しっかりとそう決心した。
弟くんはモニカを訓練所から預かったときから、実はモニカがうちの子になればいいなあと思っていた。
でも、家にはほかにくうとかい、2匹のラブラドールがすでにいた。
くうとかいの朝夕の散歩、食事、排泄物、体調管理などの世話は、お父さん、お母さん、そしてお兄ちゃんがやっていたが、弟くんなりに大変だということはわかっていた。
そこへまた1匹お願いしても、きっと、ダメ、と言われると思っていた。
そのうち、モニカの毛並み(ラブラドールレトリバーのチョコレート色)は日本では少なく、この血統を維持するために繁殖犬としての使命を果させなければならないということもわかってきた。
モニカのお婿さん、それもモニカと同じくラブラドールレトリバーのチョコレート色のお婿さんを探して、赤ちゃんを産ませることがうちでできるだろうか。
そしてもうひとつ、モニカはタダでもらえるものではないということもわかってきた。 くうやかいも買ったと、お父さんとお母さんが話していたのを聞いたことがあった。
お金は、5万円だったか、6万円だったか、なんだかとてつもなく高く感じた金額だった。
そんなわけで、モニカがうちの子になるにはクリアーしなければならない問題がたくさんあると弟くんは思ったので、今まで自分の気持ちを正直に家族のみんなに言えなかったのだった。
お父さんとお母さんは思っていた。
もし、弟くんがモニカをうちの子にしたいと言ってきたら、それはそれで快く受け入れようと。
お兄ちゃんにはお兄ちゃんの犬としてかいがいるように、弟くんも弟くんの犬として、モニカを欲しがっているのを、お父さんもお母さんもちゃんとわかっていた。
ただ、それまで弟くんは、モニカにご飯やおやつをあげたり、遊んだりはたくさんしてあげていたが、排泄物の始末や散歩などの世話は、ほとんどお兄ちゃんがやっていた。
モニカをうちの子にしたいのなら、今までお兄ちゃんに任せていたことを、弟くん本人が全部すること。
それをしっかり弟くんができるのなら、正式にうちの子として、弟くんの犬として、モニカを迎え入れようと思っていた。
お兄ちゃんは思っていた。
今家にいる、くうとかいはもちろん家族みんなの犬だが、くうは、競技会には向いていない犬なので、みんなの犬。かいは、自分と一緒にいろいろ練習して競技会に出る犬なので、自分の犬。それと同じ感じで、弟くんはモニカを自分の犬として、うちの子にして欲しいのだろうと。
モニカがもしうちの子になり、赤ちゃんを産むのなら、さすがにそれはまだ小学校4年生の弟くんには難しいかもしれないので、お兄ちゃんはちゃんと勉強して、自分が取り上げようとも思っていた。
弟くんは、モニカをうちの子にしてもらうために、まず自分に何ができるか考えていた。
モニカを預かったときは、かいは訓練所に行っていたので結局家には2匹だった。
が、しばらくしてかいが戻ってきて3匹になったときは、お父さん、お母さん、お兄ちゃんは、犬たちの世話で大変そうだった。
弟くんはモニカの世話をあまりしなかったので、今度は、それはちゃんとしようと思った。
そして、今までお小遣いは全部使ってしまっていたが、これからは全部貯金し、お年玉をもらったらそれも全部貯金しようと思った。モニカを正式に訓練所から譲り受けるときの金額がいくらかまだわからなかったが、できる限りのお金を用意しようと思ったのだ。 あとは、お父さん、お母さん、お兄ちゃんに相談だ。
みんなはなんと言うだろう。
弟くんは早速、みんなに話すことにした。
(次回に続く)
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名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。公式ブログは、「子育ての話を聞かせてください―I‘m proud of you―」
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