2009年1月8日
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
そして、今回でめでたくこの連載も200回目を迎えることができました。これもひとえに皆様の日頃のご愛顧のたまものと、感謝の気持ちでいっぱいです、重ねてお礼申し上げます。
さて、冬休みに入ったと同時にニューヨーク(NY)に遊びに行った息子と夫が、暮れも押し迫った29日の夕方に、NYからお客さんを連れて日本に帰ってきた。(前回参照)
息子のNYの学校で同級生だったアレックスと、彼のお父さん(ジョージ)、お母さん(ジーン)がそのお客さんだ。
アレックスはクリスマス・イブが誕生日で、13歳になったばかり。
“13”は英語で、“サーティーン”という。
“ティーンネージャー”というのは、この13から19までの英語読みで“ティーン”がつく13歳から19歳(サーティーン、フォーティーン、フィフティーン、シックスティーン、セブンティーン、エイティーン、ナインティーン)までの年頃のことをいう。12歳までを“子ども期”とすれば、ティーンネージャーはちょっと大人に近づいた、“青春期”とでもいえばいいのだろうか。
アレックスの両親は、そんな青春期にめでたく突入した息子のお祝いに、盛大な誕生日パーティーを開こうかとアレックスに相談したのだそうだ。
アレックスはそれより、とてもお金がかかるかもしれないけれど、日本に行ってみたいと言ったのだそうだ。
アレックスは私たちがNYにいる頃も、よく我が家に遊びに来て、いつか日本に行ってみたいと言っていた。
両親も日本にとても興味を持っていて、いつか日本に行ってみたいとよく言っていた。 そしてとうとう今回、両親はアレックスの要望を快く受け入れ、青春期突入のお祝いもかねて、みんなで日本にやって来ることにしたというわけなのである。
これは日本にやって来たジーンから聞いた話だが、アレックスがとうとうティーンネージャーになったことに彼女は大きな喜びと同時に、なんだかさみしい気持ちもあるそうだ。
赤ちゃんができた時の喜び、そして出産して、初めてアレックスの顔を見た時の大きな感動。
自分のおっぱいを飲むときの彼の安心しきった顔。
初めて、「ママ」と自分を呼んでくれた時の彼の声、などなど。
それはもう様々な思い出がめぐり、幸せをいっぱい運んできてくれた彼に感謝せずにはいられなかったが、と同時に、自分の手元から羽ばたいていく時が刻々と迫って来ているかと思うと、その時に泣かないでいられる自信はまったくないと言っていた。
そばで話を聞いていたジョージも、大きくうなずいていた。
さて、そんな両親の思いがいっぱい詰まったアレックス家族の初めての日本。
彼らはまず成田空港から我が家に到着するまでの道すがら、
「この国と人々は、なんて静かなんだろう」
と思ったのだそうだ。
彼らが住むNYは、車のクラクション、人々の話声など、とても豪快でにぎやかだ。
確かにそこと比べると、日本は静かといえば静かなのだろう。
「ついつい電車の中でも小さな声で話してしまったわ」
とジーンは笑いながら言っていた。
さあ、そんな日本の第一印象を持ったNYからの御一行様の日本滞在、このあとどう変わっていくのだろうか。
我が家族は、そんな彼らに日本での楽しい思い出をたくさん作ってもらおうと、いろいろと計画を練ったのであった。
(次回に続く)
名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。公式ブログは、「子育ての話を聞かせてください―I‘m proud of you―」
ここから広告です
広告終わり