2009年3月5日
横浜チャイナタウン(中華街)へ着いたのは、もう夕暮れ近くのことだった。(前回参照)
出発が午後からということもあったのだが、途中、電車のトラブルがあったのも原因だった。
でも、ニューヨークからの御一行様はめげてはいなかった。
ニューヨーク(NY)以外で見るチャイナタウンはみんな初めてだったので、
「わー、赤いちょうちんがきれいー! NYのチャイナタウンより街自体は小さいけど、その分コンパクトに見学ができていいわねえ」
「おいしそうな肉まん!」
「飲茶もおいしそうー、ねえ、早く何か食べよう!」
と大騒ぎ。
というわけで、ちょっと早めの夕御飯をすませると山下公園から横浜港に停泊する氷川丸を眺め、
「うーん、なんかマンハッタンの南の先端にいるみたい」
と、NYの思い出話をして、家に帰った。
さて、うちの息子は今回のNYからの御一行様(ジョージ、ジーン、アレックス)に自分の日本の友だちを紹介するのをとても楽しみにしていた。
でも、年末年始は親戚家族と過ごす家庭が多い。
結局、息子が紹介したかった友だちが集まれたのは、正月三が日が過ぎた4日のことだった。
その日のお昼前、ジョージ、ジーン、アレックス、息子、そして私は、私たちを招待してくれた息子の友だちの家に向かった。
途中、お昼ごはんは何か買って行くと、その家のお母さん(私たちは「かあ」と呼んでいる)にメールをすると、
「昨日、実家の帰りにおせち料理をたくさんもらってきたのでそれも召し上がってください」
とお父さん(私たちは「とう」と呼んでいる)から返事が来た。
とうは役者さんで、私の仕事仲間でもある。
彼のところにも娘さんが一人いて、うちの息子と同じ歳。
私たちがNYに住んでいる頃、夏休みなどで日本に一時帰国したときには、よくここの家に息子と私はホームステイさせてもらっていた。
だからうちの息子とそこの娘さんは幼馴染だし、近所に住んでいる彼女の友だちも幼馴染。
今回日本に帰って来て私たちが住んでいる所と、彼らの家はちょっと離れているのだが、それでも何かあるとよく集まって遊んでいるのだ。
息子にとって彼らは、日本人の親友なのである。
実はとうは、仕事で2006年の12月にNYにやって来た。
そのときに仕事の合間に息子の学校に来てくれ、アレックスにも会っている。
とうとアレックスとは2年ぶりの再会になるわけだ。
とうの家に着くと、彼は満面の笑みでアレックスたちを迎えてくれた。
「大きくなったねー」
アレックスを見つめてとうは目を丸くしていた。
この年の子どもはちょっと会わないだけでもずいぶんと大きくなる。
2年振りならなおのこと。
アレックスはもうすっかりとうの背丈を越していた。
「ささ、こちらへどうぞ」
とうにうながされてみんなで居間に行くと、もうテーブルにはおせち料理やお赤飯、とうが作ったベーコンとホーレンソウの炒め物、ソーセージなどが並べられていた。
私たちもフライドチキンなどを買って行ったので、それを加えるとテーブルはおいしそうな食べ物でいっぱいになってしまった。
みんな嬉しそうな顔をしてテーブルにつく。
そして自己紹介。
英語と日本語がごちゃまぜになりながら、とうは一生懸命話す。
かあは、高校の英語の教師資格を持っている程の英語の達人。なんなくペラペラと自己紹介。
次は子どもたちの番だ。
ここの娘さんは1年生のときから英語の授業がある私立小学校に行っているので、なんなく自己紹介。
と、思いきや、あれ? なかなか話しださない。どうしたのかな?
みんなは、かたずをのんで彼女を見つめた。
(次回に続く)
名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークにで11年余り生活。2007年に日本に帰国。
主な著書に、「子どもがのびのび育つ理由」(2008年4月 マガジンハウス)、(対談集)「頑張りのつぼ」(05年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(06年7月 ビジネス社)などがある。公式ブログは、「子育ての話を聞かせてください―I‘m proud of you―」
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