「生まれてまもなくから、家内がいわゆる英才教育を始めました」
1972年、斉藤(35)は、東京都江戸川区で生まれた。一つ上に姉がいたが、弘毅(72)と妻の喜美子にとって、待望の男の子だった。
喜美子はまず、「幼児教室めぐり」を始めた。2歳ほどの斉藤と夫を連れ、いくつかの教室見学に出かけた。
「いまはみんなやっていることかもしれませんが、当時はまだ珍しかったと思います」
次は「幼児教材集め」。
「まえだのおじさん(前田武彦氏)」の読み聞かせで知られる「東京こどもクラブ」の童話と歌のレコードセットをそろえて聞かせた。ドリルを買い込み、幼稚園に入る前から読み書きも教えた。おもちゃは知育玩具。専用バッグを持って図書館に行き本を借りる習慣もつけた。
「私も家内も、こう育てたいというような理念はなかった。ただ、子どものためには、頭に投資した方が先々いいだろうと漠然と思っていました」
まな板のしくみのなぞを見ていたら母 がハガキで読売に出す
幼稚園も悩んだ。どこに入園すればいいのか、小学校の恩師に相談した。
「無理することないんじゃないの?」と言われ、近くの幼稚園へ。
お金はないが、少しでも良い小学校に入れたい。入学前、学区外の文京区まで評判の区立小学校を見に行った。通学の不便さなどから、結局これも断念した。
運動は弘毅が教えた。運動会前になると毎朝、河川敷を一緒に走った。相撲大会では「組んで押すと押し返してくるからそこを投げろ」とコツを教えた。
斉藤は学級委員をし、大手進学塾の定期テストでいつも上位に入る優等生に育った。
「賢くて活発な子だった。勉強しなさいといった覚えはありません」
通知票てわたすたびに中卒の母の話を 母は聞かせる
「本読めてしあわせもんやおまえのこ ろ母さんいっつも畑に出てた」
大した努力もせず、有名国立中学に合格。だが、両親の喜びは続かなかった。(敬称略・宮坂麻子)