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歌人・斉藤斎藤のお父さん 弘毅さん:3 バイトして資金できたら雀荘へ

2008年5月27日

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 「勉強するぐらいなら本を読みたい子」

 斉藤(35)は、母喜美子の思い通りに育つには育った。だが、読むのは筒井康隆などのSF小説ばかり。喜美子は眉をひそめた。

 「なんでダメなの?」

 だが、喜美子はうまく説明できない。

 反抗にならない反抗期が始まった。「中学に入る前から、母の言葉は聞き流していました」と、斉藤は振り返る。

 

 弁当箱に母がなにかを入れている やきそばパンと牛乳を買う

 

 有名国立中学に入ったと、ほっとしたのもつかの間、学校帰りに友達と雀荘(じゃんそう)へ入り浸るようになった。高校に内部進学したもののファミリーレストランでアルバイトし、小遣いを稼いだらまた遊ぶ。

 「まさかそんなことをしているとは、私も家内も知りませんでした。有名中学に入ったし、塾に通わせなくても成績が下がらなかったので安心していた」

 弘毅(72)は、家庭は妻に任せ、外の遊びに熱中していた。

 

 おこたから一歩も出ずに「わからん」と言ってのける父になんか負ける

 

 見かねた斉藤が喜美子に言った。

 「母さん俳句でもやってみたら」

 すると、これまでに見たこともないほど、寂しそうな顔をした。

 

 お母さん母をやめてもいいよって言えば彼女がなくなりそうで

 

 大学受験の直前、事件は起きた。斉藤が「進学しない」と言い出したのだ。

 「大学へ行かなくても本は読めるし勉強もできる」

 喜美子は絶叫した。弘毅は母子の間にわって入り、「これからの時代は大学にいかなきゃダメだ」と説得した。

 

 母さんがわたしのほうへなんなの、なんだったのと息をした朝

 

 1浪して、有名私大の文学部に入学した。弘毅は、ほっとした。

 「大学にいくよう説得したことが、唯一、親らしいことをしてやれたことだと思っています」(敬称略・宮坂麻子)

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