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フェンシング選手・太田雄貴のお父さん 義昭さん:5

才能だけで勝てる日本人はいない

2009年6月2日

写真高円宮杯W杯で戦う太田雄貴(右)。この後の海外での活躍が認められ、国際フェンシング連盟(FIE)ランキングで日本選手として史上初の1位に

 毎日の練習に終止符を打つのが、06年の冬である。自宅で義昭(よしあき)(56)は雄貴(ゆうき)(23)と練習を始めたが、ぜんぜん乗ってこない。30分ほどしたころだった。

 「もう、ええんちがう」

 そう言って、突然部屋を出て行った。

 4千日を超える習慣が終わった日は、雄貴が義昭から離れた瞬間でもあった。

 「私自身、とても楽しい日々でした。練習すればするほど、雄貴はどんどんと成長し、勝ち続ける。雄貴のためというより、雄貴を私の楽しみに引き込んだという方が正解かもしれません」

 「父離れ」を果たした雄貴は、ドイツ・ボンに留学して「脱皮」をはかる。そこで、遊ぶときは遊ぶ、練習するときは練習するという欧州選手の余裕ある生活に触れる。ルール改正などもあり、「日本人の自分には才能がない」と思い詰めスランプに陥ったこともあったが、同時に、体格的にも肉体的にもハンディキャップを背負った日本人の「宿命」と「進む道」も改めて見つけたようだ。

 「やっぱり、日本人には、コツコツという部分が必要ということでしょう。才能だけで勝てるほどの日本人はいない。雄貴はそう思ったはずです」

   *

 ドイツ留学を経て、雄貴は06年12月にドーハで開かれたアジア大会で日本人選手として28年ぶりに優勝したことにより、やっと世界レベルに到達する。雄貴自身の言葉を借りれば、「世界でも戦術、戦略的なことを煮詰めていけば勝てる」という表現になる。そして、08年の北京五輪の銀メダルにつながる。

 北京五輪直後、「次はロンドンで金」とそうそうに宣言した雄貴について、母親妙美(たえみ)(56)はこう話す。

 「あの人、やると言ったことの99.9%は実現してきたんじゃないでしょうか。彼なら、もしかして、と思います」

 就職先も決まり、雄貴は東京で生活を始めた。長男長女も家を離れた。義昭はちょっと手持ちぶさたな日々を送る。

 「手ぐすねを引いて待っているんですよ。結婚した長男に子どもができて、孫とフェンシングをすること」

 妙美にそう言われると、義昭は「そんなこと、思ってないで」と笑った。

(敬称略、石川雅彦)

      ◇

 次回からは宇宙飛行士の若田光一さんです。

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