千住博、明、真理子のおかあちゃま 文子さん:4
2009年7月28日
文子が「教育だけでなくすべてに信念を持って生きた人でした」という、鎮雄
博は利発な子だったので上(慶応大)まで行くと思っていました。ところが、慶応の考え方である「独立自尊」を持ち出し、「将来は自分で選択したい。東京芸大で建築を学びたい」と慶応進学を辞退したんです。しかも、建築ではなく日本画がやりたいらしい。反対するにもこっちが勉強しなきゃと、博の部屋の本をこっそり読み、主人に説明しました。
ところが主人ったら「いいだろう。30歳までは挑戦していい」と言ったの。自分も30歳で学者をめざしたから。リュックを背負い、ブリキのバケツを手に予備校に通い出した博を、笑う人もいたけれど、本人はひたすら努力していました。
でも、自信があった2浪目もダメだった。「東大か慶大に入り直す」と言い出した博に、主人が怒りました。「世の中には10年浪人する人間もいる。2年でしっぽを巻くなんて情けない」と。
それから、博は猛然と勉強し出して、翌年、3浪して合格しました。
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〈鎮雄の後を継ぐべく、一度は慶応大に入学した明も、途中で退学。東京芸大の作曲科をめざした。〉
明は高校時代から、レコード会社でアルバイトをしたり、ほかの学校の生徒とバンドを組んだりしていました。でもそんなレベルでは東京芸大には及ばない。
芸大進学を勧めた博が、教えてくれる人を紹介してくれました。でも「合格への近道は教えてくれない。10年かかれば入れる」と言うの。なんでそんな人をと思ったわ。そうしたら夫まで「実力なく入るな。30までかかっていいから、実力をつけてから入れ」と言うのよ。
〈結局、明も3浪して入学。2人の合格の日、鎮雄は涙を見せた。〉
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「子どもは自由だ。ハンドバッグとは違う。親の持ち物じゃないんだ」と主人は言い続けていました。私は給料をすべて子どもに使い、ダメな妻だったなあ。でも、博が絵を、明が音楽を、真理子がバイオリンを「これほど好きなものはない」と言ってくれるとき、ほっとします。長い距離を、日々子どもとともに新しい発見をし、探求してきました。これからも終わりはありません。
(敬称略、聞き手・宮坂麻子)
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次回からは、卓球選手の石川佳純さんです。
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