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卓球選手・石川佳純のお母さん 久美さん:3

練習を休むのは許さなかった

2009年8月18日

写真2000年9月、姫路で開かれた全日本選手権バンビの部に初出場

 2000年2月、佳純さん(16)の7歳の誕生日を機に、久美さん(46)は鬼コーチに変身した。なにしろ自分の練習を犠牲にして佳純さんのために時間を使っているのだ。いい加減な気持ちでやられては、割に合わない。

 練習のため、毎日、山口県防府市のスポーツセンターに通った。車で片道1時間弱。学校から帰る佳純さんを持ち構え、連れて行く。もちろん、どんなに卓球が好きな佳純さんでも、練習をしたくないときはある。疲れて車中で寝てしまったり、ぐずったりするときも。

 それでも、「絶対、練習を休むことは許しませんでした。マンツーマンでしたから、逃げることも隠れることもできません」。

 練習を休むどころか、一球を見送ることさえ許さなかった。どんなショットを打たれても、絶対にあきらめない。とにかく食らいつく。どんなに追いつかないと思っても、必ず一歩足を出す。

 久美さん自身に練習があるときは、夫の公久さん(46)が会社帰りに防府市まで車を飛ばした。

 久美さんは振り返る。

 「いつの間にか、卓球一色の生活になっていたという感じです。それだけ、卓球は魅力があったんでしょうね」

    *

 佳純さんは、もちろん卓球だけをやっていたわけではない。3歳ごろからバレエ、水泳、ピアノ、それに学習塾にも通っていた。すべて佳純さん本人が「やりたい」と言って始めたのだったが、すべて「やっぱりやめる」と言ってきた。最後まで残ったのが、卓球だった。

 両親から贈られた赤いユニホームで戦った全日本卓球選手権バンビの部(小学校2年生以下)の山口県予選。佳純さんは、2位になって代表の座をつかむ。そして00年9月、兵庫県姫路市で開かれた本大会でも初勝利を挙げた。

    *

 久美さんはこの大会で初めて、佳純さんと同年代の子どもたちを見た。そして、欲が出てきた。

 「これは、小学6年生まで鍛えたら、優勝できるかもしれない」

 この直後である。公久さんと久美さんの「卓球のおうち」計画が動き出すのは。(石川雅彦)

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