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バイオリニスト・川畠成道の両親 正雄さん、麗子さん:1

米国で突然発症「地獄でした」

2010年11月9日

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写真:デビューから12年、日本と英国を拠点に演奏活動。医療・福祉施設などへの訪問コンサートなどチャリティー活動も積極的に行っている拡大デビューから12年、日本と英国を拠点に演奏活動。医療・福祉施設などへの訪問コンサートなどチャリティー活動も積極的に行っている

 「喫茶店でお茶を飲む人をガラス越しに目にすると、どうしてゆっくりしていられるんだろう、と思いましたね」

 1998年のデビュー以来国内外で活躍するバイオリニスト川畠成道(38)の父、正雄(65)は話す。視覚障害を負った長男の成道に10歳でバイオリンを教え始めてから10年余り、親子の日々は気を抜く余裕のない「戒厳令下」だった。

 鹿児島市出身の正雄は6歳からバイオリンを習い始めた。母の期待を背に、中学時代に上京。東京芸大を卒業後、高校の同級生だった麗子(66)と70年に結婚し、成道、能成(37)、守道(33)と3人の息子を授かった。バイオリニストとして私立大の非常勤講師、芸大オーケストラなどでの演奏活動、スタジオでの録音、と掛け持ちの状態。父親が仕事で不在がちの平凡な家庭だった。

 「いきなり絶壁から突き落とされた」のは80年8月。夜中に国際電話が入る。数日前から、小3の成道は麗子の両親と米国へ旅行していた。初孫に「広い世界を見せたい」と義父が願い、成道はディズニーランドを楽しみにしていた。その成道が高熱を発しロサンゼルスの病院に入院したと、義母は伝えてきた。

 よほど重いのか、しかし自分には仕事が……。正雄に代わり受話器をとった麗子の決断は早かった。「とにかく私、すぐ行くわ」。翌日、赤十字の要請で特別に即時発行されたビザを手に渡米した。

 病室の成道は全身の皮膚がむけ落ち、高熱で意識ははっきりせず、まぶたは腫れ上がっていた。「スティーブンス・ジョンソン症候群」。薬の副作用などが原因で発熱、全身の皮膚にただれ、水ぶくれができる。発症率は低いが、死に至る場合もある。成道の場合、米国到着直後に飲んだ風邪薬が原因とみられた。

 紙製のシーツに皮膚がくっつき、交換の時には悲鳴を上げた。口や食道の粘膜も侵された。尿道の炎症で排尿できなくなり緊急手術を受けたことも。間近で見守る麗子は「親として生きた心地はしません。地獄でした」。

 一命をとりとめ、10月半ばに帰国。成田空港で出迎えた正雄は2カ月半ぶりに会う息子に、当惑を感じた。皮膚にふれないようだぶだぶのコート、まぶしがるためつば広の帽子に濃いサングラスという姿。さらに気がかりなのは「角膜を損傷し、失明の可能性が高い」という検査結果だった。(敬称略・大庭牧子)

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