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作曲家・岩代太郎の父さん 浩一さん:1

「できないはずない」息子と猛勉強

2011年1月11日

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 「作曲家になりたい」と岩代太郎(45)が言い出したのは、中学2年の終わりのことだった。

 授業態度が問題になり、母の綾子(73)が学校から呼び出しを受けた。なんとはなしに息子の顔から生気が失せていたことは、日頃から、綾子も気になっていた。小学校では成績は良かったが、中学になると優秀な生徒も多く、トップクラスには入れなくなった。そんなこともあり、「壁にぶつかっていたのかもしれない」と綾子は思った。

 担任の教師から厳しい叱責(しっせき)を受け、木枯らしの吹く帰り道。厚く積もった落ち葉の上を、かさかさと寂しい音をたてながら歩いていた太郎が、ふと立ち止まって言った。

 「母さん。俺、作曲家になる。音楽の道を目指す」

 できることなら「ボーナスがもらえる人(サラリーマン)」になってほしいと願っていた綾子は、突然の決意表明に驚きつつも、「悩んだ末の結論だろう」。息子の思いを父の浩一(80)に伝えた。

 太郎の「夢」を知った浩一は、すぐさま行動に出る。当時、音楽家を目指す道は東京都立芸術高等学校だった。都立で唯一の芸術専門高校。もちろん、その次の目標は東京芸大の作曲科入学だ。

 浩一自身が作曲家として仕事をしていたため、太郎は見よう見まねで、多少はピアノを弾けた。だが、英才教育なんてまったく施したことがない。習い事はといえば、妹の眞菜(まな)(42)と一緒に絵を習いに行っていたくらい。「ともかく、あと1年足らずで、どの程度の音楽的能力を備えれば合格できるのですか?」。浩一はそれのみを、志望する都立芸術高校の各科の教諭と話し合った。

 浩一自身、音楽の専門教育を受け始めたのは16歳から。「それでも、ひとかどのプロの作曲家として食べている。息子にできないはずはない」。その一念で、声楽、楽理、ピアノなど、自分が聞いた情報をもとに、太郎とともに必死に勉強した。

 「ほとんど寝食を忘れて」と言っていいほどの猛勉強を続け、そのかいあって首尾よく合格できた。人生の一歩を踏み出したかに見えた太郎だった。

 しかし、入学2週間目。浩一と太郎は担任から呼び出され、突然、「退学勧告」を受けたのだ。(敬称略・羽毛田弘志)

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