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作曲家・岩代太郎の父さん 浩一さん:3

「感動を大切に」親子3代の精神

2011年1月25日

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 浩一(80)が心の中で師と仰ぐのは、自分の父吉親(よしちか)。太郎(45)の祖父だ。熊本で国語教師をしていた吉親は、全国校長会副会長も務めた。頑固一徹な九州男児だったが、「感動体験」だけは大切にするよう、日ごろからわが子にも伝えていた。浩一は、吉親から受け継いだこの教えを太郎にも説いてきた。

 終戦直後、16歳の浩一は藤原歌劇団のオペラ公演を熊本で観(み)た。演目は「カルメン」。5回の公演すべてをかぶりつくように堪能した。「世の中にこんなに心揺さぶるものがあるのか!」。唱歌と軍歌と流行歌しか知らなかっただけに、オペラ音楽にたちまち魅せられた。

 「人々に感動を与える仕事がしたい」と、浩一は劇作家になる夢を学友らに語ったが、バカにされるだけだった。

 しかし吉親は違った。「どうせバカならば、いっそその分野に向けて徹底してバカになれ。継続する力があれば、『この人あり』といわれるようになる」

 浩一が旧制中学生のころ。先生たちの「理不尽な言動」に怒って暴力事件を起こす。学友をかばい、自分ひとりが退学処分を受けた。このときも、吉親はしみじみ言った。「お前のやっていることは蛮勇だ。勇気とは自分の信念を正しく表現することだ。信念を貫くには勉強が要る。そして初めて正しい勇気が身につく。戦争は間違っている、と反戦を貫き、投獄されて亡くなった人たちは、そんな人たちだ。人間への感動がなければ、本当の勇気は生まれない」

 太郎は高校で一時、「才能がない」と言われながらも、猛勉強して東京芸術大学の作曲科に入った。夢に大きく近づいたと家族も本人も思ったが、すぐに壁にぶつかる。「偉大な音楽家のことを知れば知るほど、とてつもない壁を感じた」。情緒不安定になって、「大学を辞めたい」ともらすようになる。浩一は「友だちをつくれることこそ、学校が持つ最大の財産だ。友だちとの交わりの中で、貴重な感動体験もできる」と諭した。

 太郎は吉親を「神様のような存在」と言う。祖父から父、そして自分へと流れる「精神」を強く感じている。

 その吉親が高校2年のときに亡くなった。太郎は母綾子(73)に「交通費がかさむけど、ぜひ告別式に連れていって」と懇願。熊本へと向かった。吉親は浩一や太郎の情熱への支えであり、家族の原点だった。(敬称略・羽毛田弘志)

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