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作曲家・岩代太郎の父さん 浩一さん:4

聴いてもらうことが名刺、と指南

2011年2月1日

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 東京都立芸術高校2年のとき、中国料理店「東天紅」のウエディング曲の公募があった。太郎(45)は応募作を五線譜に記した。が、母綾子(73)は「デモテープがなければ、音楽が専門でない審査員にはわからない」と駄目出し。曲の録音をぎりぎりまで続け、締め切り最終日に持ち込み、みごと採用された。「音楽はデモ・パフォーマンスが大切なんだ」と痛感した。

 父の浩一(80)も、息子に「名刺が通用する世界ではない。ともかく、自分の作品を相手に聴いてもらうこと。それが事実上の名刺だ」と言い聞かせた。

 1991年、太郎は東京芸大大学院を首席で修了。大学は太郎の修了作品を買い上げ、永久保存とした。この作品はシルクロード管弦楽作曲コンクールで最優秀賞も受賞した。修了の年にはNHKスペシャルの曲を制作、幸先よくプロデビューを果たす。しかしその後、数年は鳴かず飛ばずの状態となり、仕事らしい仕事はほとんど入らなかった。太郎は「オタマジャクシを書いて食べていくのは、生半可な気持ちではできない」。

 太郎が物心ついた頃には、浩一はすでにNHKの教育番組や大劇場の舞台などの音楽を担当。名前が知られる立場になっていた。太郎は当初、父に仕事の紹介を頼もうと思ったこともある。だが「最初はオヤジの顔で気を配ってくれるかもしれないが、長続きしない」と、自力で仕事探しのルートを開拓した。

 「この道で食べていける」と手応えを感じたのは30歳に近くなってから。NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」「義経」などのテレビドラマや、「蝉しぐれ」「あかね空」「カムイ外伝」など数々の邦画を手がけ、2008年と09年にはジョン・ウー監督の映画「レッド・クリフ」を担当。映像音楽の作曲家として国際的にも実力が認められた。

 「ある種の欠乏感と闘っていないと、すごいものは生み出せない」。太郎は昭和ひとけたの父親への敬意を込めてこう話す。武満徹(故人)も富田勲も同世代。戦争を経験し、音楽教育など満足に受けずとも、困難な環境のなかで芸術を究めてきた人たちだ。

 「音楽への感性、ひたむきな努力……。まだまだ学ぶべきものは多い」と太郎は言う。(敬称略・羽毛田弘志)

    ◇

 次回は、大相撲の横綱・白鵬です。

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