ハイスクールラプソディー

朝井リョウさん 岐阜県立大垣北高 執筆は勉強に向かうための息継ぎでした

2019.05.20

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中村 千晶
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戦後最年少で直木賞を受賞した小説家の朝井リョウさんが、高校時代について語ります。すでに「小説家になる」という確固たる夢を持っていた朝井さん。当時の生活はどんなものだったのでしょうか。また親や先生など、周囲の大人たちからはどんな影響を受けたのでしょうか。

話を伺った人

朝井リョウ

小説家

あさい・りょう/1989年、岐阜県生まれ。岐阜県立大垣北高等学校卒業後、早稲田大学へ進学。2009年「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。12年に同作が映画化。13年に『何者』で第148回直木賞を戦後最年少で受賞、14年に『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞を受賞。最新作は『死にがいを求めて生きているの』(中央公論新社)。『チア男子‼』を原作にした映画が全国で公開中

小説家を目指し、中学時代から経験を「コレクション!」

――大学在学中に小説家としてデビューされました。高校時代はどのように過ごされたのでしょう?

中学生のときに、同年代が主人公の小説を読みながら、「小説家って一度は中高生の話を書いているな。ということは自分もいつか中高時代のことを書くときのために、なんでも記憶をコレクションしておかなきゃ!」と、変なスイッチが入りました。つまりそれは客観性という言葉に言い換えられると思います。だからある意味、そこで私の青春は終わったんです。

それからは生徒会長や体育祭の応援団長など、学校という場所で経験できるあらゆることに手を出しました。なので、結果的に高校生活もすごく楽しかったです。バレーボール部を3年間やって、文化祭や体育祭も前のめりに取り組むタイプでした。斜に構えて行事に出ないとかそういうことは一切なくて、なんでも「コレクション、コレクション!」精神。すべてを全力で経験して、同時に出版社に小説を投稿したりもしていました。

撮影/篠塚ようこ

――すごいエネルギーですね。県内屈指の進学校でもあったそうですが、勉強は苦ではなかったですか。

大変でしたが、「学校生活を楽しめるかどうかは授業を楽しめるか否かにかかっている」と思っていたので、頑張りました。学校にいる時間の中で圧倒的に多いのって、授業の時間なんですよ。だから授業がわかれば、ほとんどノーストレスで過ごせるはずなんです。予習もしておくほうが、しないで授業を受けるよりストレスがなかった。先生と無意味に対立するより仲良くしておいたほうがいいと思っていたのもそういう理由からです。 

――勉強と執筆の時間配分はどうしていたのですか?

部活が終わって、夜8時ごろには帰宅して、夕ごはんを食べて、そのあとお風呂入るまでの時間に文章を書いていました。さくらももこさんのエッセーがすごく好きだったので、自分も日々のエピソードをエッセーにしてブログにアップしたりもしていました。受験時期はさすがに無理でしたけど、1、2年生ころは小説も書いて投稿していました。 

執筆は息継ぎだったんです。勉強する時間に向かうために、一回自分の好きなことを挟むみたいな。その感覚は、いまもあまり変わっていないと思います 

――ご両親は、朝井さんの「小説家になる」夢をどう受け止められていたのでしょう?

あまりに大きな、現実味のない夢ですし、おそらく本気で言っているとは思っていなかったと思うんです。だから否定をしたり、笑ったりもしなかった。学校の先生もそうでした。夏休みの自由研究で小説を提出したときも面白がってくれたり。周囲の大人が大らかに受け止めてくれたことはとてもありがたかったです。 

今では笑い話ですが、高校1年の時、文理が分かれるときの三者面談で私が「文系に進みたいです。小説家になりたいので」と言ったら、隣で母親が盛大なため息をもらしたことを覚えています。でも両親ともに、本気で反対してきたことはありませんでした。 

ただ、「小説家になるからほかのことをしなくていい」という考えは持っていませんでした。進学はもちろんデビューしたあとも就職も絶対するものだと考えていましたし、今は兼業作家のほうが多いくらいですからね。 

階段に脱衣所、トイレ、お風呂…家中に本が置かれた環境で育つ

――そもそも、小説家になりたいと思ったきっかけは?

家の中に自然に本があったんです。父は会社員で母は専業主婦とパート、というごく普通のサラリーマン家庭でしたが、父も母もかなりの読書好きだったと思います。リョウという音は本名そのままなんですが、それも司馬遼太郎から取ったそうです。 

宮部みゆきさんや東野圭吾さんなどの本が、そこら中にありました。「〇〇全集」とかではなく、父や母が好きな現代作家の本が、階段とか脱衣所とかトイレとか、お風呂にも置かれていて、家の中のどこでも本を読めるようになっていた。なので「本を読め」と言われたことは一度もないですが、自然に手に取っていました。書き始めたきっかけは、3つ上の姉です。姉も本が好きで自由帳に絵本のようなものを書き始めたのを真似て、自分も書き始めたのが最初でしたね。 

――書き続けることにつらさを感じたことはなかったですか?

デビューするまで「書けなくてつらい」というのはなかったです。まず誰にも求められていないわけですし、出版社に投稿したところで最終候補にでも残らない限り投稿者の名前は発表されないので、がっかりもできないんです。投稿した千人中、自分が何番目だったのか、わからないんですよ。だから、つらいと感じる資格もなかった、という感じです。「才能がないのかも」という思いもありましたけど、逆に「お前は最下位!」と突きつけられることもないので、気持ち次第で永遠に目指せてしまう。なにより私は、書くことが楽しかった。だからあまりつらくなかったんだと思います。 

デビューって、ある日、突然なんです。投稿し続けて、それまで箸にも棒にもかからなかったのに、いきなり「受賞です」と言われるんです。自分もですが、家族も友人もひっくり返るほどびっくりしていました。小説家って、夢に近づく過程がないんですよね。 

私は幸運続きだと自覚していますが、一番幸運だったのは、「小説が好き」「いつか小説家になりたい」いう思いに、小さいうちに出会えたことのような気がします。 

――男子チアリーディングに挑む大学生を書いた『チア男子!!』の映画化も話題です。スポーツに青春をかける若者たちが描かれますが、ご自身の学生時代が、いまに影響を与えていると思うことはありますか?

『チア男子!!』を書いたとき、ある小説家の方に「身体性のある文章を書ける人は意外に少ないから、それがあなたの武器だと思う」と言っていただいたんです。うれしかったですし、本を読むより記憶のコレクションに走っていた時期の経験が知らずしらずのうちに文章に生かされている、と感じました。

私は本当にラッキーで、ずっと小説家を夢見ていたので、学生時代も「なにをしていいかわからない」というような悩みや葛藤がなかった。そのうえで「自分にとって、これは意味がない」という切り捨てをしてこなかったことも、よかったなと思います。経験はどう自分に返ってくるかわからない。だから、どんな場面でも効率や利益優先に考えて動く「コスパ主義」のような考え方には、やっぱり反対です。 

【岐阜県立大垣北高等学校】 男女共学。昨年度までスーパーグローバルハイスクール指定校(※Super Global High School=SGHとは国際的に活躍できる人材育成を重点的に行う高等学校を文部科学省が指定する制度)。卒業生に小説家・中村航ら著名人も多い。
【所在地】岐阜県大垣市中川町4-110-1 https://school.gifu-net.ed.jp/ogkkita-hs/

朝井リョウさん原作の映画「チア男子!!」は全国公開中。
https://letsgobreakers7.com/

朝井リョウ/チア男子
©朝井リョウ/集英社・LET’S GO BREAKERS PROJECT
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