ハイスクールラプソディー

新海誠さん 長野県立野沢北高 通学中の小海線から見た「天気の子」の空

2019.08.02

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橋爪 玲子
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最新作「天気の子」が話題の映画監督、新海誠さんは長野県出身。高校時代の通学列車から見た風景が作品にも反映されていると言います。山々に囲まれた豊かな自然のなかで、あの山の先には何があるのだろうと思いを巡らせていたそうです。

話を伺った人

新海誠さん

映画監督

(しんかい・まこと)1973年生まれ、長野県出身。長野県立野沢北高等学校、中央大卒業。2002年、個人で制作した短編アニメ作品「ほしのこえ」でデビュー。「星を追う子ども」(11年)、「言の葉の庭」(13年)を発表。16年に公開された「君の名は。」が記録的な大ヒット。今年7月に新作アニメ「天気の子」が公開、上映中。

車窓からの景色を飽きることなく眺めた

――どんな高校時代を過ごしましたか?

 僕が通っていた長野県立野沢北高校は制服もなく、わりと自由な校風の学校でした。学校も好きで楽しかったし、野沢北高校では部活のことを班活というのですが、僕が入っていた弓道班も県大会を目指して必死で練習していました。

 そんな僕の高校時代で一番印象に残っているのは、通学列車のなかです。僕が通学のために乗っていた小海線は、1時間に1本しか走らない単線列車です。生まれ育った場所は、標高が1千メートルくらいあり、周りには八ケ岳など高い山があって風が強く、空の表情がとても豊かなところでした。

 最寄り駅の小海駅から高校がある中込駅までの約40分間、車窓から見える景色はとても美しいんです。家から学校までの区間は、わりと南北にまっすぐ走っていたので、列車の両方の窓がちょうど東と西を向いている。朝は東側の席に座り、朝日を眺めながら通学し、帰りは西側に座りました。夕方の日が傾いて沈んでいくまでの時間帯は、雲が刻々と色や形を変えていき、特に好きな景色でした。夕日が沈んだあと空がだんだん暗くなる様子も、まだ明るい時間帯の水の張られた田んぼにうつる青空の風景も、飽きることなくずっと眺めていました。

新海誠さん2
撮影/片山菜緒子(朝日新聞出版写真部)

――高校卒業後の進路はどう考えていましたか?

 ぼんやりした子どもだったので、先のことはあまり詰めて考えていませんでした。ただ東京にあこがれ、東京の大学へ進学したいと思っていました。地元はすごく好きでしたし、離れるのもさびしいけれど、高校の教室の窓の外に見えるのは360度、山ばかりです。その山々が何か僕をはばむ壁にも思えて、窮屈さを感じました。そんな中でフィクションやエンターテインメントの世界で垣間見る東京へのあこがれが増していきました。

 たとえば村上春樹さんの「ノルウェイの森」は東京が舞台の物語ですよね。主人公の男の子が住んでいた吉祥寺や彼女と散歩をした四谷あたりを見てみたかったし、山手線や歌舞伎町も彼の小説を通してもっと知りたいと思いました。高橋留美子さんの「めぞん一刻」は、主人公の五代くんの思春期から青年期にかけての一大叙情詩みたいなスケールの話です。浪人生の五代くんは上京し予備校や大学に通い、アルバイト先でいろいろな人と出会ったり、就職活動で失敗したり。また恋をして、結婚するのも東京と思われる場所です。マンガの中で繰り広げられる東京での生活を自分に重ねました。山の向こうにある東京には、小説やマンガの物語と同じように、僕に「幸」をもたらしてくれる何かがあるような気がしました。

パソコンでアニメ制作、もの作りが好きと自覚

――実家の家業を継ぐつもりはありましたか?

 僕の実家は、地元ではわりと大きな建設会社を経営していて、周囲はなんとなく僕のことを跡取りとみていましたし、就職活動をするなかで本格的に将来を考えるまでは、僕自身も自分が継ぐのかなと思っていました。一方で実家に父の会社の仲間がよく集まってたばこを吸いながらわいわい麻雀をやっている様子は、楽しそうなのだけれど、なんとなくこういう男っぽい世界は自分には向かないんじゃないかなとも感じていました。

――アニメーションには子どものころから興味があったんですか?

 もともと絵を描いたり物語を書いたりするのは好きでした。小学生のときには、当時出始めたばかりのパソコンを親にねだりました。テストの点数がクラスで1番になったら買ってくれると。がんばって1位になって買ってもらったパソコンは今みたいにネットにつながってもいないですし、「ファミリーコンピュータ」と違ってゲームもそんなにありません。遊ぶためには自分でゲームのプログラムを作る必要があります。僕はそれに興味があったんです。

 たとえば、好きな絵本の絵をパソコンの中で再現して、そこに文章を表示して、自分の好きな音楽を打ち込む。キーを押すと次のページに進み、BGMまで流すことができるんです。文章と絵と音楽といったいろいろな素材を同時にコンピューターに入れると、オリジナルの簡単なアニメみたいなものが作れることがものすごくおもしろくて――。ものを作ることがすごく好きなんだというのは、高校生ぐらいから自覚としてはありました。ただ、それが今のアニメーション映画を制作する監督の仕事につながるなんて、当時の僕は想像したこともありませんでした。

新海誠さん3
©2019「天気の子」製作委員会

 エンターテインメントに救われた

――高校時代の何が今につながっていますか?

 ひとつは、作品の中の空や雲など自然の風景の多くは、僕が見てきた信州の風景がモデルになっています。上映中の映画「天気の子」にも東京の空模様が描かれていますが、全カットとはいわないけれど、僕が高校時代に心を動かされた小海線からみた空の原風景が僕の目には透けて見えます。

 そしてもうひとつ。僕自身が思春期にアニメーションやマンガや歌といったエンターテインメントを心底強く求め、それが僕を救ってくれました。好きな人が全然こっちを振り向いてくれない苦しさやうまくコミュニケーションを取ることができないやるせなさ、どこかに運命の人がいるはずだというあこがれなど、思春期のころってひとつひとつの感情が色鮮やかで血を流すような鋭さがありますよね。僕も感じてきた思春期のひとつひとつの感情の痛さ、激しさは今の映画にはっきりまっすぐにつながっています。だから、僕の作品を特に若い人たちに届けることができたらいいなと思っています。

長野県立野沢北高等学校

1901年創立。男女共学。通称「野北」「北高」。長野県内有数の進学校。政界、学界だけでなく、LINECEOの出沢剛さん、宇宙飛行士の油井亀美也さんなど、さまざまな分野で活躍する人材が輩出している。
【所在地】長野県佐久市野沢449-2
【URL】http://www.nagano-c.ed.jp/nokitahs/

天気の子
©2019「天気の子」製作委員会

映画「天気の子」

家出して東京へ来た高校生の帆高は、陽菜と出合う。彼女には「祈る」ことで天気を晴れにできる不思議な力があった。雨が降り続ける東京で、晴れを請け負うビジネスを始めた2人だが、「力」を使うその先に過酷な運命が待っていた。ふたりはいったいどんな選択をするのか――。

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