ハイスクールラプソディー
EXILE、三代目J SOUL BROTHERS 岩田剛典さん 祖父も父も慶応、ダンスにもらった夢
2019.10.17

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSのパフォーマーとしての活動を続けながら、俳優としても活躍中の岩田剛典さん。芸能界入りのきっかけは高校時代に出合ったダンスにありました。
(いわた・たかのり)1989年生まれ、愛知県出身。慶応義塾普通部、慶応義塾高等学校、慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。2010年に三代目 J SOUL BROTHERSのパフォーマーとしてデビュー。現在はEXILEのメンバーでもある。数々のドラマや映画にも出演。10月から毎週月曜午後9時放送のドラマ「シャーロック」(フジテレビ系)に出演中。
シビアだった中学受験
――中学受験を経て、地元・名古屋から東京に来られたそうですね。
祖父も父も慶応の出身だったので、物心ついたときから呪文のように「慶応に入りなさい」と言われてきました。そのため小学校高学年になると塾に通い、家庭教師にもついてもらい、中学受験で慶応に入ることを目指しました。受験は簡単じゃなくて、本当にいろいろな壁にぶち当たりましたし、悔しい思いもたくさんしました。
塾で成績ごとにクラス分けされることは、自分に対して価値をつけられているようでしたし、1番から100番まで成績順に名前と点数を貼り出されるのは大人に番号をつけられているような感覚でした。一緒のクラスだった子がどんどんレベルの高いクラスに上がっていく一方で、自分はずっと同じ場所から抜け出せず焦ったり、その逆に成績が上がればそれをキープしないといけない不安にかられたり。そして最終的には志望校に合格できるかできないかのどっちかしかない。勝つか負けるかのスポーツマンシップみたいなところは、小学生にとっては本当にシビアだったなと思います。
そして、無事合格して、地元・名古屋を離れて、母親と一緒に東京で暮らし、中学から慶応に通うことになりました。

文化祭ステージの高揚感は忘れられない
――慶応での中学・高校生活はどうでしたか?
小学校時代は受験のためにガリ勉でしたけれど(笑)、もともとはスポーツがめちゃくちゃ好きなんです。だから中学ではバスケット部と空手部を掛け持ちしました。だけど部活としてはあまりやる気がでなくて、頑張りきれなかった。だから高校では、身をささげるぐらいがっつり部活をやってやろうと決めて、ラクロス部に入部しました。選んだ理由は、ラクロス部は高校からしかなかったのでみんなスタートラインが同じだったからです。だからその中で頑張ればレギュラーを目指せるかなって。部活に打ち込んだ結果、U19の日本代表候補に選んでもらえました。
――そしてダンスに出合った。
当時、一緒に部活を頑張っていた同級生と、デビッド・ラシャペルの「RIZE」という映画を見に行ったんです。そのダンスの動きに衝撃を受けました。力強くて、動きも速いし、何よりダンスで会話しているような――。「RIZE」では、クランプというダンスが登場するんですが、そのダンスがなぜ生まれたのかというルーツにあたる部分も描かれています。そこにも僕は心を打たれました。そしてクランプを踊れるようになりたいと。
人前で初めてダンスを踊ったのが、高校3年生の文化祭でした。高校生にとって文化祭は一大イベントですよね。慶応高校の文化祭は、他校からもたくさん遊びにきてくれたり、有名人がゲストにきたり、とても盛り上がります。仲間とチームを組んで「華々しいステージにしようぜ!」と文化祭のステージを目標に、部活を引退した後、独学でダンスの猛練習を始めました。そして、ステージに立ったときの高揚感は一生忘れられません。
部活でレギュラーになって試合に勝つという喜びは、いわゆるスポーツの喜びだと思うんですけれど、ダンスを通してちょっと違う角度での注目のされ方を味わったんですよね。そこでひとつスイッチが入って、大学ではラクロス部の誘いもあったのですが、ダンスをやろうと高校を卒業するころには決めていました。

一生の友だちを見つけた
――内定を辞退してダンスの道に?
大学ではダンスサークルに入り、ダンス三昧の日々でした。サークルの代表として同期や先輩とのパイプ役となれたのもいい経験です。でもダンスサークルをやっているときは、ダンスを職業にするとは1ミリも考えておらず、社会人になったら趣味になるだろうな、というスタンスでした。ダンスで食べていけるとは考えていなかったですし、就職することで初めて学業ではない、社会人としての新しい人生がはじまるんだと考えていました。就職活動もしっかりやり、大学4年生の4月にはある企業から内定もいただいていました。
状況が一変したのが、大学4年生の夏休みです。ダンスを通して知り合った現在の三代目J SOUL BROTHERS のメンバーのひとり、小林直己さんから、三代目のオーディションがあるから受けてみたらと誘われたんです。その当時はEXILE以外で、ダンスでアーティストとして表舞台で活躍している人は少なかったですし、そのEXILEの弟分のグループメンバーを募集しているというのですから、迷います。結果はどうなるかわからないけれど、受けてみたいと思いました。人生二度とないギャンブルでしたね。
そして、オーディションに合格しました。親には、時間とお金をかけて、ある意味つくってもらった道を裏切るようなことをしているなとも思いました。けれど、芸能界という世界に入ると決めたときの心境はなんともいえないものがあります。かっこよく踊りたいと憧れたダンスに、僕は夢をもらったんです。
就職の内定を辞退して芸能界に入ることに、親は猛反対でした。例えば小学生のときは、いい成績をとって親にほめてもらうことがモチベーションにつながっていて、僕はそういうことで頑張って生きてきた。でも、大学を卒業するときは、それまでの反動なのか、全部自分で決めましたね。
子どものころに受験した経験は、今の仕事でも生きています。自分の目標にむかってエネルギーを使うとき、常に前の自分よりいい自分であるために頑張ることができる基盤になっていると思うんですよね。

――慶応はどんな学校でしたか?
慶応って幼稚舎から大学まであるので、とにかく縦と横のつながりが本当に強い。愛校心をすごく感じます。そして一生の友だちをみつけられる学校かもしれません。僕自身、中学から大学まで慶応で過ごしたなかで、長い付き合いになっていくだろうという友人がつくれました。また仲間たちは本当に幅広い職種の仕事をしているし、活躍のフィールドも国内だけにとどまらないので、久しぶりに会って話を聞くと本当に面白いんですよ。
僕の仕事も刺激的です。僕はいまドラマ「シャーロック」に出演していて、シャーロックの相棒ワトソン役を演じています。僕が初めてドラマに出演したのが5年前。その頃に比べると芝居の経験も増えた分だけ想像力も増したと思うので、ワンシーンワンシーン、このシーンはどう演じようかなとしっかり考えながら演じることを楽しんでいます。ディーン・フジオカさん演じるシャーロックに振り回されながらも軽快にかけあう様子にクスッと笑ってもらえたらと思っています。
