ハイスクールラプソディー

ロボット開発者・吉藤健太朗さん 奈良県立王寺工業高校 不登校はね返した恩師との出会い

2019.12.12

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橋爪 玲子
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身体障害や入院などで動けない人の孤独を解消したいと「OriHime」を開発した吉藤健太朗さん。インターネットを通してスマートフォンやパソコンで操作する遠隔操作型、分身ロボットです。吉藤さんがロボット開発に情熱を注ぐ原点には、高校時代の出会いがあります。

話を伺った人

吉藤健太朗さん

ロボット開発者

(よしふじ・けんたろう)1987年、奈良県生まれ。奈良県立王寺工業高校卒業後、香川高等専門学校に編入。早稲田大創造理工学部入学後、分身ロボットの研究に専念。2010年に「OriHime」を開発。12年にオリィ研究所を設立。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」受賞。著書に「『孤独』は消せる。」などがある。

あこがれの先生がいる高校に進学

――不登校の時期があったそうですね。

 小学5年生から中学2年生までの3年半、学校に通えない時期がありました。

 モノづくりが好きで、小学校低学年のときは段ボールや牛乳パックにビー玉を入れて迷路をつくったり、イライラ棒のようなものを貼り紙で組み合わせてつくった遊びを発明したりするとクラスメートたちは、面白がってくれました。あのころの私はクラスのなかでゲームクリエーターとして地位を築いていました。みんなが喜ぶ姿をみるのがうれしくて、そのころの夢は「科学者」でした。

 ただ、それも小学5年生ぐらいまででした。クラスメートたちは精神的に成長しはじめ、私の工作に興味を示さなくなっていきました。けれど私はそういう成長が遅かった。また集団行動が苦手で、授業中じっと座っていることができないタイプでした。低学年のころは、吉藤くんはしかたないよね、と言ってくれた子たちも高学年になると、みんなはいろいろと我慢しているのに、私だけ好きなことをしているのはおかしいという考えになり、だんだんと孤立していくようになりました。

 そのような時期に、体調を崩し2週間ぐらい入院や自宅療養をすると、教室に顔を出しにくくなり、学校に自分の居場所がなくなっていく感覚を強烈に感じました。

――学校に行く代わりに熱中したことは?

 両親もはじめのうちはなんとか学校に行かせようとしていました。私も「学校に行かなくては」と思うのですが、それがものすごいストレスとなっていく。ただ天井をみつめるだけのような日々が続くなか、両親が私に「(私が)笑顔でいてくれれば、親としてはもう十分」と言ってくれました。学校に行くことを期待されなくなったことが当時の私にはすごくありがたかった。そんな両親は私にいろいろなことを提案してくれました。そのなかのひとつが、中学1年生での「虫型ロボット競技大会」への参加です。各地区の優勝者によるグランドチャンピオン大会にも出たのですが、そこで人生を変えるきっかけがありました。

 展示会場内に一輪車で走り回るロボットが出展されていたのですが、個人がつくったものだということに驚きました。このロボットの開発者が、地元の奈良県立王寺工業高校の先生であることを知り、弟子入りしたいと思いました。

吉藤さん2
撮影/小山幸佑(朝日新聞出版写真部)

――あこがれの先生に弟子入りするために高校進学?

 大会後、王寺工業高校に進学し、あのロボットの開発者の久保田憲司先生のもとで学ぶことが目標となりました。王寺工業高校に合格するために、塾に通い始め、わからないことを質問したくて少しずつ学校にも通えるようになりました。

 久保田先生がいる高校に入学できた翌日、約1年間あこがれ続けた先生に一刻も早く「弟子にしてください!」と言うため、朝早く登校して校門の前で先生を待っていたくらいです。私は久保田先生のもとで、誰かの役に立つロボットをつくりたいと思っていました。不登校だったとき、自分が存在することで誰かの何かが解決したり、救われる人がいたりしてくれたら、私も生きていてもいいのだとずっと思っていました。

 ただ、先生はぜんぜんロボットのつくりかたを教えてくれません。先生はついて回って見て盗めと。ある日、先生にすすめられて、特別支援学校のボランティアに行くことになり、車いすを押す経験をしました。こんなに不便なものなのかと驚きました。そこで、段差があっても上ることができ、みんなが乗りたがるようなかっこいい車いすの開発をすることにしました。

 工業高校なので実習工場があり、そこには旋盤やフライス盤などの工作機械がたくさん置いてありました。私は放課後、終電ぎりぎりの23時くらいまでそこで電動車いすづくりに没頭し、朝も6時半の電車に乗り7時半には登校。実習工場へ直行していました。先生も朝から夜遅くまで付き合ってくださり、そんな日々が本当に楽しかった。ときにはドリルが爪にあたり蜘蛛の巣状に爪が割れたり、はんだごてを握ってやけどをしたりもしましたが、そういう経験ができてよかったなと思います。

科学技術コンテストの世界大会へ

――高校時代、科学技術のコンテストに出場したそうですね。

 高校2年生のとき、私たちが開発した電動車いすを高校生科学技術チャレンジ(JSEC)という高校生による自由研究コンテストに応募することになりました。優勝すれば、世界大会の国際学生科学技術フェア(ISEF)に出場できます。

 JSECの審査方法が10分のプレゼンと5分の質疑応答であることを知ったときは、人前に立つことが苦手な私は不安でたまらなくなりました。先生に相談すると「練習あるのみや!」だけで、先生と私たちとのプレゼンの猛特訓が始まりました。

 先生は、「夢の中でもプレゼンしているくらい読み込め!」「大きな声をだせ」といいます。ほかの出場校は、スーパーサイエンスハイスクールの高校や、進学校ばかり。ほかの学校の売りが学力の高さなのであれば、こっちは元気のよさと「すごい!」と言わせた数で戦おうと。練習にゴールはないのだから、何回も繰り返してやるんだという先生の気迫には、ロボットをつくっていたはずなのに、精神論をたたき込まれているようでした。

 猛特訓の成果か、私たちは優勝し、ISEFの日本代表の切符を手にすることができたことは大きな自信となりました。

吉藤さん高校時代
開発した電動車いすに乗る高校時代の吉藤さん(本人提供)

――世界の高校生との出会いの中で受けた衝撃とは?

 ISEFは世界80以上の国と地域から、約1800人の高校生が集まる「科学のオリンピック」と呼ばれています。この大会に参加するために、またプレゼンの猛特訓が再開されました。しかも今度は英語です。特訓がつらすぎて何度も逃げ出しそうになりました。

ISEFでいろいろな国の高校生たちと大会前のパーティーで意見交換したとき、彼らは「僕はこの研究をするために生まれてきた」「私の研究は、人生そのものさ」と本気で語り合っているんです。私は彼らが自分の命を何のために費やすかを考えていることに衝撃を受けました。そして「私は車いすをつくるために生まれて、死ぬまで車いすを研究したいのだろうか」と考えると、答えは「違う」と。じゃあ、私は何をしたいのだろうと、大会後もしばらく自問し続けることになりました。

人生のテーマは「孤独の解消」

――大会後、人生のテーマをみつけたそうですね。

 ISEFではGrand Awardの3位を受賞することができ、帰国後「スーパー高校生」としてメディアに紹介されるようになりました。するとそれを見た人たちから「こんなものをつくってほしい」などと、さまざまな相談が寄せられるようになったんです。そんな声を聞くなかで、世の中って完成していないんだなと、気づいたんです。それまでは世の中はわりと完璧にできていて、大人が正しくて、協調性のない私が間違っているとずっと思っていたんですね。でも、「世の中で便利な車いすを誰もつくってくれないから、あなたたちにつくってほしい」と、高齢のおばあちゃんから相談されたときは、高齢者が高校生に頼るしかないような世の中だったら、私にも何かできることがあるかもしれないと思いました。

 実際に車いすを必要とする人たちの声を聞きに、いろいろなところに出向くと、彼らが必要としていることは、車いすの改良ではなく、もっと根本的な部分に問題があることがわかりました。たとえば、足が不自由な人はまわりに迷惑をかけたくないから外出をしなくなってしまう。そうなるとだんだん社会から「孤立」し、「孤独な状態」になっていく。私も不登校の状態が長引くにつれて同じ思いで苦しみました。

 私は残りの人生を「孤独を解消するために使おう」と17歳で決心しました。

――「孤独の解消」が人生のテーマですね。

 高校卒業後は、孤独の解消という研究をするために、香川県にある国立詫間電波工業高等専門学校(現在の香川高専)に編入して、人工知能の研究を始めました。でも、何か違うんです。当時はAIBOなどの「癒やしロボット」が話題になっていたけれど、いくらロボットと話せるようになっても、癒やされないんです。

 私自身を振り返っても、両親のサポートだったり、久保田先生へのあこがれや出会いであったりと、人とのコミュニケーションによって社会とのつながりができ、孤独が解消され、癒やされていたと痛感しました。

 その思いが現在の「分身ロボット=OriHime」の開発につながっています。「OriHime」は身体障害や入院などで社会に参加したくてもできない人たちに「居場所と役割」をつくってあげるための分身ロボットです。自分が操作しなければ動きません。「OriHime」を使うことで、いつも人に何かしてもらうだけだった人が、人に何かをしてあげられるようになる。私が目指しているところは、分身ロボットを介して、そこにいてもいいと思える社会参加ツールをつくり、残すことです。ひとりでも多くの現場の声を聞き、人生をかけて孤独という問題を解決することが私の使命だと思っています。

吉藤さん3

 

奈良県立王寺工業高等学校

奈良県王寺町にある公立の工業高校。1962年に開校。奈良県内唯一の工業高校で機械工学科、電気工学科、情報電子工学科の三つの学科がある。

【所在地】奈良県王寺町本町3-6-1

【URL】http://www.e-net.nara.jp/hs/ojikogyo/

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