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絵本作家・鈴木のりたけさん 浜松北高校 「頭のいいひとは、おもしろい」とわかった

2019.12.26

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中村 千晶
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細密な絵でさまざまな仕事場を紹介する「しごとば」シリーズや、「こんなお風呂、トイレに入ってみたい!」をユニークな発想で描いた「ぼくのおふろ」「ぼくのトイレ」などで知られる絵本作家・鈴木のりたけさん。「自分にしかできないこと」を見つける源となった高校時代、そして予備校時代の体験を聞きました。

話を伺った人

鈴木のりたけさん

絵本作家

(すずき・のりたけ)1975年、静岡県生まれ。静岡県立浜松北高校卒業後、一橋大に進学。2008年、「ケチャップマン」で絵本作家デビュー。「ぼくのトイレ」で第17回日本絵本賞読者賞、「しごとば 東京スカイツリー」で第62回小学館児童出版文化賞を受賞。19年6、7月に放送したNHK「みんなのうた」の「変顔体操」のイラストを担当。しかけ絵本「へんがおたいそう」も発売中。

目立ちたがり屋だった子ども時代

――子どものころから、絵を描いていたのですか?

 うーん、クラスで少年ジャンプの漫画をまねして描いて「上手に描ける人ベスト3」には入っていたかな。でもノートにササッと描くくらいです。中学時代はテニス部で全国大会に行くほど練習漬けで、生徒会長もやっていた。勉強は好きじゃなかったけど「先生がどこをテストに出すか」を予想して当てるのが楽しくて、一夜漬けで点数を取るタイプ。要領がよかったんでしょうね。明るくて目立ちたがり屋だったと思います。

 親父はものをつくるのが好きでした。日曜大工で鳥小屋をつくったり、庭に池をつくったり。車の部品を集めてオフロードのバギーをつくって、静岡の砂丘で走ったりしていた。写真をみて「こんなのつくれるんだ!」と幼心にすごく尊敬した記憶があります。いま僕も庭に鳥の巣箱をつくったりしますから、手を動かしてものをつくる原点はそんなところにあるのかもしれません。

――高校は進学校「静岡県立浜松北高校」に進学しました。

 非常にユニークな学校でした。県内で1、2を争う進学校なのに、学校祭や運動会にかける情熱がすごいんですよ。運動会では全学年が協力して全力でデコレーションをつくったり、3年のときのショータイムではシブがき隊の「スシ食いねェ!」に合わせて、ネタのかぶりものをつくって踊ったりしたのが思い出深いですね。

鈴木のりたけ高校時代
高校時代の鈴木さん(本人提供)

 友人も変わったひとが多かった。がんばって勉強して入学してよかったなと思ったのは「頭のいいひとは、おもしろい」とわかったこと。僕の知らないことをたくさん知っているし、おしゃれなひともいる。刺激を受けました。軽音部に入って、JUN SKY WALKER(S)やザ・ブルーハーツのコピーをしてライブハウスで盛り上がったり。でも遊んでばかりだったので、志望大学に落ちて、一浪しました。さすがに「甘く見ていたな」と、落ち込みましたね。

人間的成長を促した予備校の先生の言葉

――予備校時代に大きな出会いがあったとか。

予備校の先生との出会いが、僕の人生ですごく大きいですね。一日じゅう一緒に予備校にいて、しかも学校より少人数制だから、先生とすごく近くなるんです、バンドをやっている先生と仲良くなって、「もういやだ」と弱音を吐くと「いまは頑張る時期だぞ」とうまく軌道修正してくれた。職員室のソファでコーヒーを飲みながら「人のやっていない道を歩まなくちゃだめだぞ」みたいなことを言われた記憶があります。人間的に成長させてくれたというか、学校の先生より学ぶことが多かったですね。

 子どものころは周りに「弁護士になりたい」と言っていたんです。お金が稼げるらしいから(笑)。でも本当はなにをするべきか、ずっとわかっていなかった。デザイン事務所時代に僕が必死で手を動かしているのに、名前が残るのはアートディレクターだけ、ということを経験して、「どうやったら自分の名前が残る仕事ができるか」と思い始めました。「鈴木のりたけ」がやる意味がある仕事を選ばないと、会社や社会の歯車として使い捨てられていくだけだと感じたんです。それは予備校の先生が言った「オンリーワンになるような仕事、人がやっていないような仕事を目指せ」という言葉が生きた瞬間だったのだと思います。

――それで会社員から絵本作家になったのですね。

 そうなんです。僕は美大出身でもないし、絵の専門的な勉強はしていない。大学を卒業してJR東海に入ったのですが「ここではないな」と2年ほどで辞めて、自宅のパソコンで雑誌を作ったりしていました。そのあと新聞や雑誌の広告を作るデザイン事務所に入り、8年ほどグラフィックデザイナーをやって、絵本作家になりました。

 自分で絵を描けば、自分の生み出したものとして完結するなと思ったんです。最初はニュースで話題になっている問題を1枚の絵で表す風刺画のようなものを描いていました。それを連作にしてテキストをつけてみたら「これって絵本じゃないか?」となった。コンテストに応募したら賞を頂けて、「ケチャップマン」という絵本が出版できた。それを別の出版社の方が書店で手に取って、仕事を依頼してくれたんです。僕の絵は湿気があるような感じで日本の作家にはないタッチだったので、それを気にいってもらえたようです。

鈴木のりたけ②
撮影/加藤夏子(朝日新聞出版写真部)

――「しごとば」シリーズの発想は?

 当時はまだデザイン事務所に勤めていて、デザイナーがそれぞれ机のまわりを好きなもので飾って個性を出しているのがおもしろかった。そういう「仕事場」を文化人類学的に並べて比較したらどうかな、と編集者に話したら「おもしろそうですね!」と企画が通ったんです。でもデザイナーの仕事の合間に取材に行ったり、深夜しか描く時間がなかったりで大変だった。「もっと時間があったら、ちゃんとしたものが描けるのに!」と、会社を辞めて絵本作家になりました。編集者には「いやいや、まだちょっと待ったほうが……」って言われたけれど、「いや、辞めます!」って(笑)

 発想力はデザイナー時代に鍛えられたと思います。毎日おもしろい表現を考えて、それを具現化していましたから。自分の絵本の原体験ってなんだろう、と考えると、かこさとしさんの絵本なんですね。「カラスのパンやさん」に出てくるいろんなパンの絵とか、かこさんの科学シリーズが好きだったんです。どこか影響を受けているかもしれません。

僕は絵を習ったわけじゃないし、そんなにうまくないんです。「しごとば」シリーズも現場で写真を撮って、忠実に描く。いわゆる写生です。写生なら持ち前の粘り腰と訓練、そして時間と手数さえかければリアルに描けるんです。いわゆる「芸術的な絵」は描けないけれど、それは自分でわかっているし、割り切っている。それよりも「なんだか笑えるじゃん!」「おもしろいじゃん!」っていう絵や本を作ることに興味があるんです。

迷ったら「どっちが楽しいか」で選ぶ

――子どもが読むものを描く、難しさはありませんか?

 「子どもに読ませるためのもの」からスタートしちゃうとダメなんです。自分がおもしろがって、読めるものじゃないと。「ぼくのおふろ」は自分が子ども時代に何を考えていたかを思い出してつくりました。いまは自分の子どもからアイデアをもらうこともあります。

 どうするか、どっちがいいかと迷ったときは、自分がおもしろいと思ったものにする。そこは外せないです。絵本づくりには時間がかかり、1年に2、3冊つくれるかどうかです。その期間、自分のモチベーションを維持するためには、自分の「これがおもしろい!みんなに伝えたい!」がしっかりしてないとダメです。僕の絵本が親と子のコミュニケーションの時間の真ん中にあってくれればいいな、という思いでつくっています。

――これまでの人生、どんな思いで決断をされてきましたか?

僕ね、「決断」ってそんなにでかいことじゃないと思っているんです。こっちに行ったら崖っぷちで、こっちに行ったらつり橋が残っていて助かった!というような究極の二者択一の決断は人生にはそんなになくて、たぶんどっちに行こうが人間はなんとかそれに合わせてやっていける。だから決断をあんまりプレッシャーに感じないほうがいい。そして一度決めたら「あっちに行ったほうが、よかったかな」なんて思う暇もないくらい、選んだものを一生懸命にやるしかないんです。迷ったら「どっちに行ったほうが楽しいか」くらいの感覚で選ぶといいんだと思います。

鈴木のりたけ③

 

静岡県立浜松北高等学校

静岡県浜松市にある県立高等学校。男女共学。「自主独立」の精神を基盤として、世界的視野で人類の発展に貢献できる人材を育てている。学校祭・合唱大会・運動会などの学校行事が盛ん。ジャズピアニストの上原ひろみさん、作家の鈴木光司さんなど著名な卒業生も多い。

【所在地】静岡県浜松市中区広沢1-30-1

【URL】www.edu.pref.shizuoka.jp/hamamatsukita-h/home.nsf

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