ハイスクールラプソディー
アナウンサー・桝太一さん あこがれの麻布の生物部でまさかの筋トレ、走り込み!?
2020.01.16

朝の情報番組「ZIP!」(日本テレビ系)の総合司会としておなじみの桝太一さん。子どものころからの「生き物」好きに磨きがかかったのは麻布中学・高校の校風が関係しているそうです。
(ます・たいち)1981年生まれ、千葉県出身。麻布中学・高等学校を卒業後、東京大理科二類に入学、東京大農学部水圏環境科学専修卒業。 東京大大学院農学生命科学研究科修了後、2006年、日本テレビに入社。朝の情報番組「ZIP!」や「高校生クイズ」の総合司会をつとめる。
麻布の明るさと活気にひかれた
――中高一貫の麻布を目指したきっかけは?
小学5年生のときに、母親にいろいろな中学校の文化祭に連れていってもらったんですが、制服できっちりしている感じがなんとなく怖かった。僕は千葉県の出身で、地元はものすごくゆるいといいますか、中学受験をする人は学年に一人いるかいないかという小学校に通っていました。文化祭を見たなかで、麻布の生徒たちはみんな私服で、小学校の延長という雰囲気がよかったし、明るさと活気がほかの学校とは段違いでした。
それに、僕は生き物が好きで、中学では生物部に入ることを決めていました。麻布の生物部は、実際に生きているものを文化祭で展示することがコンセプトなので、文化祭に行ったら、本当に生きているネズミがいるじゃん!って。そして、研究っぽい感じがなく、ただただみんな生き物が好きでやりたいことをやっているというのが伝わってきて、一番面白そうだったんです。小学生ながらにここの部活に入りたいとあこがれました。
――入学後、あこがれの生物部に入部しますね。
あこがれの生物部のイメージは入部早々に崩れました。理科室で白衣を着て、顕微鏡をのぞいたり、標本をつくったりというのが生物部の日常だと想像していたのですが、実際は腹筋、腕立て伏せ、スクワットなど体育会系の基礎トレーニングメニューが組まれていました。週3回は走り込みもあって、東京タワーコースや皇居コースなど5~10キロの4種類のコースがありました。こんなに体育会系的な要素があるとは、文化祭を見たときにはまったく感じなかったので、もう本当にびっくり。中高一貫校なので、部員は中学1年生から高校2年生がいるのですが、確かに最上級生は文化部なのにみんなマッチョ。中学受験で勉強ばかりしていた新入生にはこの筋トレは相当きついものでした。
そもそも生物部が体を鍛える目的は、観察合宿があるからです。フィールドワークを重視していたため、体力をつける必要があります。夏合宿では標高2千~3千メートル級の自然豊かな高山に登り、そこに生息する生物の観察をします。新たな生き物を発見したり、生き物の生息する自然について知ったりする日々は本当に楽しいものでした。

また合宿を通してプレ社会経験もできました。どこの山にいって、テントと寝袋で何泊して、自炊用の食料はどれくらい持っていくのか、本当に事細かに自分たちですべてを決めます。工程表ができて、予算もできあがったら、先生に見せます。限られた時間と予算のなかでうまくやりくりするにはどうしたらいいか、いい社会勉強にもなりました。
中学1年生で初めての夏合宿中、ある事件がおこりました。テントの向こうに見覚えのある顔があったんです。それはなんと僕の両親が心配してこっそり様子を見に来ていたんです。バレたうえに、先輩が両親に本気で注意するという驚きの展開に。後日、部誌の報告書には、「今回、合宿にご両親がいらっしゃるということがあった。これは前代未聞の事態である。これは生徒が自分たちの目的を決めて、計画し、自分たちで実行する合宿である。上級生も責任をもって、下級生を引率している。保護者の方も信頼していただかなければ困る」と高校2年生の先輩に書かれました。麻布生らしいなって思いますね。
先生が背中で見せた「好きなことを貫く」
――中学3年生のときには卒論があったそうですね。
1冊の本について、5~6人のチームで、書かれていることをまとめたり、どこが優れているのかを話し合ったりして、卒業論文をつくりました。麻布の中学入試の問題は記述式。僕も当時から本が好きでしたし、国語も得意だったので記述式は得意だったんです。入学したらみんなそうだったという印象があります。文章を書くのが好きで、むしろ書きすぎちゃって困るような生徒ばかりで、討論は当然ヒートアップします。友達の家で泊まり込みまでして、ああでもない、こうでもないと議論し、チームで何カ月もかけてひとつの作品と向き合えたのはいい経験となりました。
――麻布はどんな学校でしたか?
「人と違うことがかっこいい」ということがすごくはっきりしている学校だと思います。言い換えれば「好きなものを貫く」。人と違うことをする、人が知らないことを知っている、人がやらないことをやっているのがかっこいいんだという麻布の価値観を僕も中高の6年間で培ったと思います。先生たちは変人だらけです。自分の興味のある分野だけ分厚く教えてくれて、興味のない分野はさらっと流す(笑)。それを見ていると、人って好きなことを貫いていいんだというのを、先生たちが背中で見せてくれていたのかなと思えます。

――卒業後の進路は理系に進まれましたね。
僕は生物が好きでしたが、数学と物理が苦手でした。どう考えても僕は文系なんですが、麻布で「好きなものを貫くこと」をさんざん学んできたので、向き不向きではなく、僕の好きなもの=「生物」に行こうと振り切れました。そういう意味では大学選びは、生物がしたいだけだったので、生物の学べる大学を逆算してえらぶことができてよかったです。実際に好きなことを学べたので大学・大学院は研究で苦労したことも失敗したこともたくさんありましたが、充実していましたね。
生き物のことを伝える側に
――アナウンサーになったのはどうしてですか?
子どものころから僕は昆虫であれ魚であれ「〇〇博士」になることにあこがれていました。しかし実際に研究という経験を積んでいく中で、研究者としての素質がないことがはっきりしました。でも生き物が好きなのは全然変わらない。ならばそれを生かせる第二の選択肢として何にしようと考えた結果、僕の場合はメディアを通して生き物のことを伝える側にまわりたいと思いました。結果、ご縁があったのはテレビでしたけれど、動機は生き物関係に携っていられればそれでいいというのがすべてでした。好きなことがあって動機をそこから作れる人生って楽だなと、今すごく思います。これって決まっていれば、どの道にいっても楽しいと思えますから。
――生き物が教えてくれることとは何ですか?
多様性を受け入れることです。これは今でも生き物が好きでよかったポイントです。最近、多様性という話がいろいろとでてきますけれど、生き物好きからすると何をいまさら当たり前なことをいうんだという感覚なんですよね。性別もそうですし、生き方も身体的な違いも、生き物の世界にいれば、自分の環境で自分にとってベストな形で生きていることが当たり前です。魚は空を飛ばないし、蝶は泳がない。そこにどっちが偉いかなんてないでしょう。そういう感覚を得られたのは人生の大きな宝物だと思っています。そして定期的に水族館や自然のなかの生き物たちの世界にポンと入ると、その原点に戻れるのがすごくいいです。やっぱりそうだよね、と生き物本来の姿を再確認できる、僕にとってとても大切な時間でもあります。
