ハイスクールラプソディー

藤村忠寿さん 名古屋市立向陽高校 「水曜どうでしょう」も勉強も、言われる前にやっていた

2020.02.13

author
中村 千晶
Main Image

大泉洋さんらが出演する人気番組「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)の名物ディレクター・藤村忠寿さん。「人から言われる前に、自分からやる」性格や、学生時代に熱中したラグビーの経験が、人気番組を生み出した秘訣のようです。

話を伺った人

藤村忠寿さん

北海道テレビディレクター

(ふじむら・ただひさ)1965年、愛知県出身。名古屋市立向陽高校を卒業後、北海道大に進学。90年、北海道テレビ放送に入社。番組ディレクターとして活躍。担当した「水曜どうでしょう」は北海道が生んだ伝説のローカル番組として全国で話題に。最新本に「笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)(2)」(朝日新聞出版)がある。

「チームとして勝ちに行く」が好き

――出身は愛知県。どんな子ども時代でしたか?

母は喫茶店をやっていて、父はホテルの写真室で結婚式や七五三の写真を撮る写真屋さんでした。二人とも家にほとんどいなかったから、勉強はずっと自発的にしていました。僕、人に「やりなさい」って言われるのが一番嫌いなんですよ。だから言われる前にやっていた。本当は大好きなテレビを一日中見ていたかったけど、さすがに何にもしないでテレビばっかりじゃまずいだろう、とテレビを見るために勉強を早く終わらせていました。成績はよくて、学級委員を進んでやるタイプ。小学校のころから将来は政治家になりたいと思っていました。田中角栄のような政治家っていいなあって。大学でも政治学科を選択しましたからね。

――名古屋市立向陽高校はどんな高校でしたか?

自分で選んだわけじゃないんです。昔、名古屋には学校群というシステムがあって、市内の全高校を2校ずつペアにして生徒に受験をさせて、合格するとどちらかに振り分けられた。実力を平均化させるためだと思うんですが、生徒としては希望の高校に行けるわけじゃなく、「ああ! こっちだったか」ってがっかりすることもある。入学したときは正直そういう感じだったんですが(笑)、結果として自分にすごく合っていたと思います。学校の雰囲気がゆるかったんです。ほんわかした雰囲気で、勉強もスポーツも「なにがなんでもやってやる!」って感じじゃない。僕は厳しい競争が好きじゃないので。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんの出身校でもあって、いまは人気の進学校になったようです。

高校時代にやったと言えば、ラグビーと勉強だけですね。ラグビーは中学時代からはじめて、結局大学まで続けました。競技よりもやっている連中がおもしろくて好きだったんです。ラグビーは1チームに15人も選手がいて、いろんなタイプの人間がいる。太ったやつにも足の遅いやつにも活躍できるポジションがある。適材適所でその人の能力を生かしてチームとして勝ちに行く。僕はそういうのが好きなんだと思います。みんなをのせて「あれやろう」「これやろう」と人を動かすことが自分に割と向いている。だから政治家になりたかったのかな。誰も動かないときは率先して自分がやりますしね。

大学時代のバイトからテレビ局へ

 ――北海道大に進み、北海道テレビに就職されました。

北海道に住んでみたかったから、大学は自分で選びました。結局またラグビーばっかりやっていましたけど、大学は楽しかったですね。北海道テレビに入社したきっかけもラグビーでした。ラグビー部の先輩から「バイトしない?」って誘われて、報道部でカメラマンの助手として、三脚をかついで事故現場に行ったりしていました。

入社試験は倍率100倍くらいはありましたね。でもバイト時代にちゃんと仕事をしていたからいろんな人に顔を知ってもらっていたし、えこひいきはナシだけれど、グループ面接で挙手すると「はい、君!」とか積極的に当ててくれて(笑)。

でも20代は不遇でした。報道部に行けなくて、東京支社で業務デスクを5年もやった。新人でデスクってあんまりないんですけど、僕、最初から態度がでかかったから(笑)。僕ね、「こうしたほうがもっとよくなるじゃん?」とか思ったことを、黙ってられないんですよ。つい口に出しちゃうんです。先輩にも「視聴率が悪いって、こういう売り方したってダメでしょう!」とか言っちゃう。「先輩に向かってなんだ!」って怒られることもありましたけどね。

多分、学級委員長をずっとやっていたのも、先生に「こうしたほうがいいんじゃないか」「こうしたほうがおもしろいのに」などを言いたかったからなんでしょうね。誰も言わないなら、率先して手を挙げるのが自分の役割だと思っているところがある。

藤村忠寿さん2
撮影/小黒冴夏(朝日新聞出版写真部)

 ――その発想と行動力から「水曜どうでしょう」が生まれたのですね。

 企画を通すなんて段取りは踏まなくて、とりあえず撮っちゃって「自分はこれがやりたいんだ!」ってスタートしたんです。「水曜どうでしょう」って、完全に大学時代にやっていたようなことですもん。誰かのアパートでグダグダして、いきなり「朝日を見に行こう!」とか盛り上がって、計画性もなく行ってみたら朝日なんてもう上ってて、帰り道に誰が運転するかで「俺もう疲れてるから、やだよ!」とか険悪になっていく。そういう馬鹿馬鹿しいことって、大人になってもなんか印象に残っているんですよね。そういう時代が愛おしく思える。みんながあの番組を好きなのは、あの感じがいつまでも続いているように思えるからじゃないかなって思いますよ。

積極的に人とぶつかる

――著書『笑ってる場合かヒゲ(1)』に、「『水曜どうでしょう』を見て、不登校だった娘が笑うようになった」とお礼を言われるエピソードがありました。

 まったくそんな気持ちで作っていたわけじゃないんですけどね。我々は「おもしろくしたい!」っていう純粋な気持ちでやっているだけ。ただ純粋な気持ちって、人と人がぶつからないとなかなか出てこないんですよ。我々は常にぶつかることを、積極的にやっているわけです。そういう意味では「ああ、こんなにぶつかっていいんだ」「ぶつかったあげく、この人たち笑ってるよ」「自分はこれまで、どれだけ人に遠慮してきたんだろう」などと思ってもらえるのかもしれない。見ていて楽になった、と言ってもらえることが多いんですよ。

 ――スタートから24年たっても、愛され続けています。

 自分たちでやりたいようにやってきたからでしょうね。人に言われてやっていると、不満がたまるじゃないですか。それに「水曜どうでしょう」でよかったのは、関わるメンバーみんな「人から言われたくない、自分からやる」ってタイプだったこと。そのメンバーで旅を続けていると、なんにもしないうちに「どうすんのよ?」って言うような人はいない。全員が「ここは自分の領分だから口を出すな!」って動いて、失敗したらそれぞれの責任なんです。意見が合わないこともあるけど、ぶつかるときときは本気でぶつかって、そのつど修正していけばいい。サッカーみたいに避けるんじゃなく、ラグビーみたいにぶつかっていく。僕にとっては一番いいチームなんです。だから居心地がよかった。あのチームが崩壊することはないですね。

「やりたいようにやってこられていいですね」とか「自分もそうしたいけど勇気がない」とかよく言われるんだけど、僕にとっては勇気でもなんでもないんです。「自分はこうしたい!」と手を挙げないと気が済まないし、それに僕が一歩前に出ると、実は「ああ、自分もそう思ってた!」っていう人がけっこういるんですよ。

みんな誰かが言ってくれるのを待っている。でも「順番があるから」「最初に手を挙げると批判されるのが怖いから」って手を挙げない。一人が手を挙げると、「あ、言っていいんだ」と意見を言う人も出てくるし、反対する人もいれば「俺も賛成」って言ってくれる人もいる。だから自分から手を挙げるんです。これからもそうやって、おもしろい番組を作っていきたいですね。

藤村忠寿さん3

名古屋市立向陽高等学校

2006年度からと、15年度からの2度、理科・数学教育を重点的に行う「スーパーサイエンスハイスクール」に指定されている。卒業生に、08年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんがいる。
【所在地】名古屋市昭和区広池町47
【URL】https://www.nagoya-c.ed.jp/school/koyo-h/

新着記事