ハイスクールラプソディー

コラムニスト伊是名夏子さん 沖縄・首里高校 「ママは身長100cm」で書いた助け合いの原点

2020.02.27

author
深澤 友紀
Main Image

著書「ママは身長100cm」が話題のコラムニスト・伊是名夏子さんは、生まれつき骨の弱い骨形成不全症という障害があります。養護学校(現・特別支援学校)から沖縄県立首里高校に進学。階段だらけの高校のなか、車いすでどのような学校生活を送ったのでしょうか。

話を伺った人

伊是名夏子さん

コラムニスト

(いぜな・なつこ)1982年生まれ。沖縄県出身。生まれつき骨の弱い骨形成不全症で身長は100センチ。早稲田大卒業。香川大大学院修了。6歳と4歳の子どもを育てながら全国各地での講演や執筆活動などを行う。著書『ママは身長100cm』では、普通高校に進学し、海外留学、結婚や出産もあきらめずに夢をかなえてきた伊是名さんが、車いすママの助け合う子育てのコツを紹介。

反対を押し切って普通高校へ

――進学先は普通高校を選んだのですね。

 小学5年生から学習塾に通い始め、そこで友達と一緒に勉強することがとても楽しかったんです。養護学校は先生もたくさんいて恵まれた環境ですが、授業は先生とのマンツーマンで、勉強の理解度は上がるけれど、授業中に居眠りもできないし、部活も一つしかなくて刺激や選択肢が少なかった。たくさんの友達に囲まれながらの学校生活にあこがれていました。

実は中学受験もしたのですが、点数に自信があったけど落ちてしまった。そのとき、車いすの私は、勉強だけしていても合格できないんだと思いました。だから養護学校で中等部に進学すると、課外活動にも力を入れて、生徒会活動をしたり、英語のスピーチコンテストに出たり。高松宮杯(現高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会では全国2位になって、アメリカでのサマーキャンプにも招待されました。

沖縄県立首里高校は1学年11クラスあって、勉強だけでなく部活も盛ん。塾の友達と、一緒に行こうと話していました。それに、当時好きだった男の子が首里高校に進学すると聞いて、絶対に行きたかったんです。ただ、首里高校は県内で最も古くて、増築を何度かしている5階建ての校舎は、同じ階を移動するにも階段があるんです。ちょうど私の入学の年にバリアフリーの高校が新設されるので、養護学校の先生方や両親からはその学校を強く勧められましたが、反対を押し切って首里高校を受験しました。

伊是名さん1
撮影/小黒冴夏(朝日新聞出版写真部)

――校内での移動はどうしていたのですか?

 お古の車いすをかき集めて各階に1台ずつ置き、階段は友達に抱っこしてもらいました。お願いするときのコツがあるんです。まず2人に声を掛けます。私を抱っこする担当と3人分の荷物を持つ担当。説明の仕方も工夫しました。例えば「右肩と左のおしりを持ってね」「今日は雨が降っているから足元注意してね」と伝えれば抱っこする人も安心でしょ。いつも決まった友達ではなく、そのときそのときに相手の状況を見極めて頼むようにしていました。親友だって体調が悪いときもあれば腰が痛いときもある。頼れる先がいっぱいあるほうがいいですから。頼るばかりでなく、私が友達からの相談に乗ったり、勉強を教えたりすることもよくありました。バリアフルな高校だったからこそ、友達との絆が深まったのかなって思っています。

授業への移動はクラスみんな一緒なのでスムーズなのですが、放課後にどこかへ行きたいと思ったときに、一緒に行く人を探すのは大変なときもありました。好きな先生に会いたくて、「進路指導室に行こうよ」って言っても、その友達が行きたいわけじゃないですからね。

いろんな人と過ごすことが社会を温かくする

――高校生活はどうでしたか?

 40人で授業を受けるのも、先生にあてられるかどうかのドキドキも、後ろからプリントを集めるのも、放課後に部活をするのも、友だちと遊ぶのも、全部初めてのこと。放送部でアナウンスの大会に出たり、お昼の校内放送で好きな曲を流したり。めちゃくちゃ楽しかった。

高校生活の中で特に印象に残っているのが運動会です。フォークダンスでは通常のダンスとは別に、私がみんなと一緒に踊れるダンスを考えて、クラスの全員が覚えて踊ってくれたんです。ジャンプができないから代わりに手をパチンとたたいて、車いすでは動きにくい横の動きは前後の動きに変えて。障害があると特別な配慮をされて、ドキドキ感や楽しみを奪われることってとっても多い。でも首里高校では、みんなが考えて工夫してくれて、誰とペアになれるかわからないドキドキ感も経験できました。ほかの場面でもどうやったら私が同じようにできるか先生や友達が一緒に考えてくれて、卓球なら卓球台の横に長テーブルを置いてその上に座って球を打ち、水泳のクロールはできないからレポートねって。

伊是名さん高校時代
運動会のフォークダンスでは、クラス全員が通常の踊りに加えて車いす用の踊りを考えて覚えてくれた(本人提供)

修学旅行は雪の北海道。先生方の中には車いすの移動が危なくないかと心配する人もいました。そうしたらクラスの友達が「夏子だけ行けないのはおかしい」って言ってくれて。車いすで進めないところがあれば抱っこすればいいし、タイヤのパンクが心配なら自転車屋さんを調べておけばいい、といろいろと考えてくれました。

卒業して20年近く経ちますが、高校時代の友達のなかには、障害のある子が生まれたり、障害者に関連する仕事をしたりする人もいて、「今まで障害について考えていなかったけど、実は夏子がそうだったね」って思い出して連絡くれることがとても多いんです。それぞれ、助けを必要としている人と出会ったときに、自然に手を差し伸べたり、温かい言葉をかけたりしているみたい。学校でいろんな人が一緒に過ごすことって、社会を温かくするのかなって最近感じます。

車いすで一人暮らし、留学も

――卒業後は早稲田大に進学。車いすでの一人暮らしに不安は?

高校受験のときには周囲の反対に遭って大変だったので、大学は早めに決めようと思いました。高校に入って1年生の4月のうちに学校推薦のある大学を全部調べ、心理学と英語を勉強できる早稲田大に決めました。だから、高校生活ははっちゃけて楽しんだけど、試験勉強は手を抜かなかったし、課外活動も頑張りました。沖縄を離れて車いすで一人暮らしをすることを両親は反対しましたが、私は不安よりも楽しみが大きかった。

大学では絶対留学したいと思っていたので、高校3年生のころからTOEFLの勉強を始め、大学の交換留学制度に合格することもできました。早めに目標を決めて、壁になることやリスクを想定して、準備する。それがやりたいことを実現するために大事なことだと思っています。

もう一つ大事だと思うのは「スモールステップ」。私の場合、沖縄に住んでいたから飛行機に乗らないとどこにも行けない。私はたまたま姉が、東京の大学へ進学したので遊びに行くと、電車は車いすでも乗れるし、デパートには車いすトイレが完備されていて、意外に住みやすいかもしれないと感じました。海外にも、中学のときに約10日間アメリカに招待されたときは、親が心配して姉に付き添ってもらったのですがとても過ごしやすいと思って。高校のときにスピーチコンテストで優勝して1カ月ハワイに招待されたときは一人で行きました。そうした経験を積み重ねて、大学時代はカンボジアの孤児を支援するNGOサークルに入り、アメリカに1年、デンマークに3カ月留学しました。

大学進学を機に電動車いすに乗りはじめ、一人で出かけることもできるようになった私は、障害があっても、何でも自分でやろうと考えていました。でも、「人はそれぞれに違う」というのがあたりまえのデンマークへの留学で、苦手なことやできないことは人に頼っていいと思えるようになりました。帰国後にヘルパー制度(重度訪問介護サービス)を利用し始め、今は約10人のヘルパーさんの手を借りながら、6歳、4歳の子育て中です。助け合うことは人とつながれる素敵なこと。すべての経験が今につながっているなと感じます。

伊是名さん2

沖縄県立首里高等学校

琉球国王尚温王が1798年に創立した「国学」が前身で、県内最古の歴史を持つ伝統校。首里城から徒歩3分の高台にある。アメリカ統治下にあった1958年の夏には戦後初の沖縄代表として甲子園に出場。持ち帰った甲子園の土は検疫の問題で海に捨てられた。
【所在地】沖縄県那覇市首里真和志町2-43
【URL】http://www.shuri-h.open.ed.jp/

新着記事