ハイスクールラプソディー

俳優・清原翔さん 神奈川県立大磯高校 理系に進学、「自分の選択」で転機つかむ

2020.03.12

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橋爪 玲子
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明治大理工学部在学中にモデルとしてデビューし、卒業後は俳優として活躍している清原翔さん。スポーツ少年だった清原さんは、どんな高校生活を送っていたのでしょうか。

話を伺った人

清原翔さん

俳優

(きよはら・しょう)1993年生まれ、神奈川県出身。神奈川県立大磯高校卒業後、明治大理工学部電気電子生命学科に進学。2013年に「MEN’S NON-NO」(集英社)の専属モデルに。17年から俳優として、数々のドラマや映画に出演。現在、ドラマ「アライブ がん専門医のカルテ」(フジテレビ系)に出演中。

砂浜で「浜練」が当たり前

――どんな子ども時代でしたか?

 僕が生まれ育った場所は、神奈川県の海の近くでした。小中高校の学校からも海が見え、小学校の頃は夏休みになると友達と毎日のように海で遊んでいましたし、中学校や高校のほとんどの部活では砂浜での「浜練」が当たり前でした。

 のびのびとした環境の中、僕が中学生まで熱中したのが野球です。父親が社会人まで野球をしていたので、地元の野球クラブのコーチや監督をしていました。3歳上の兄が野球クラブに入ったのがきっかけで、僕も二人についていくうちに小学校2年生から自然と野球を始めました。

 練習は土日のみですが、クラブが終わると父と兄と三人で家の前でよく練習をしました。父にバドミントンのシャトルを投げてもらって打つ練習をしたり、キャッチボールをしたりしたのを覚えています。がんばってピッチャーもやらせてもらえるようになりました。

――高校時代はバレーボール部に転向?

 高校でも野球部に入ろうと思っていたのですが、やめてしまったんです。理由は、同じ高校に進学した野球部の友達だけが、高校の野球部から進学前に勧誘され、僕にはこなかったから。じゃあ、別の部にするぞ、と。

 いろいろな部活を見学してまわり、入部を決めたのがバレーボール部でした。当時、僕はすでに身長が183センチあり、背が高いのを生かせるかなと思ったのと、バレーボールは野球と比べて競技人口自体が少なそうと思い、活躍の場があるのではないかと思ったからです。

 とはいえ、ずっと野球少年だったので、バレーボール経験は体育の授業ぐらい。最初はレシーブのやり方もスパイクに回転をかけるやり方もわからなくて、1年間はまるで初心者でした。うまくなりたいから、練習もがんばりたい。そんな気持ちだった高校1年生の夏休みのときです。部活に向かう途中、自転車で転倒して、顔面から転んでしまいました。歯が折れ、特殊メイクを施したみたいに顔の皮がめくれてしまい、あわてて近所のコンビニのトイレに駆け込み、母親を呼びました。入院はしなかったのですが、貴重な夏休み期間中、ずっと練習ができなくなってしまったのはとても残念でした。

高校3年生の時の清原さん
高校3年生の時の清原さん(本人提供)

 モデル活動で視野が広がった

――大学は理系を目指したそうですね。

一番好きな科目は体育なのですが、算数から始まって数学は理解しやすい科目だったので、好きな科目でした。進路選択も得意だからという理由で、理系にしました。そのときは狭い視野の中で、どんな職業が世の中にあるのか知らなかったので、当時の僕の中での未来予想は、理系の大学に行ってどこかの企業に就職するか公務員になるのかなと考えていました。

明治大の理工学部電気電子生命学科に進学したのは、親の勧めもあったのと、就職率が一番高い学科だったからです。そんな動機だったので、いざ入学してみると面白くないんです。まわりは、こういう分野が好きで入学した人が多かったので、会話の内容もパソコンや携帯電話を自分でカスタマイズするという話。僕も多少興味はあるけれど、みんなのようにそのために学ぼうという気にはなれませんでした。なんだかこのまま興味もないことを続けて、このまま就職しても大丈夫なのかなと思い始めたのが大学2年生のときです。そこで、とにかく何か一つでもチャレンジしてから卒業しようと決め、一番最初にチャレンジしたのが「MEN’S NON-NO」のモデルのオーディションです。20歳になっていたので、親の承諾なしでも応募できたので、親には内緒で応募しました。幸運にも採用され、モデルの活動を始めてみると視野が広がりました。

 学生のときは働く大人と接する機会がほとんどありません。なので、仕事をしている大人と近い距離で一緒に働けた環境は僕にとってすごくよかった。カメラマンさん、スタイリストさんなど、職業ってこんなにいっぱい世の中にあるんだと、知ることができました。大学入学のときに思い描いていた人生設計もがらりと変わり、卒業後はモデルから俳優に挑戦する道を選びました。

清原翔さん1
撮影/小山幸佑(朝日新聞出版写真部)

部活、存分に楽しんで

――学生時代を振り返って、今につながっていると思うことは何ですか?

 高校時代から自分で選択し始めたような気がします。野球は父と兄がやっているから始めたので、きっかけに自分の意思はあまりなかったように思います。高校に入ってバレーボール部に入ることは自分で決めたし、大学進学のために塾に行くことも、まずは自分で勝手に体験授業に行って決めました。大学はほかに受かっていた大学の学部のほうが興味はあったけれど、親のすすめるほうに行きました。当時はそれでいいと思っていたけれど、自分で決めたほうがよかったかなと思います。自分で選択してやったほうが納得がいくし、間違いはなかったように思います。

 ――高校時代にやっていてよかったと思うことは?

 部活はやっていて本当によかったと思います。大人になるとなかなかお互いが本気になれることって少なくなりますよね。チームの仲間だけでなく、他校同士でも合同合宿したり、公式戦の会場でまた会えたら声を掛け合ったり。いい経験になるので、今、部活をやっている子たちには、僕と同じように存分に楽しんでもらいたいです。

清原翔さん2

神奈川県立大磯高等学校

1927年に大磯町立大磯実科高等女学校(4年制)として創立。50年に男女共学の大磯町立大磯高等学校となり、51年に神奈川県立大磯高等学校と改称。自主自律をよしとする創立時からの精神は、校風として今も受け継がれている。

【所在地】神奈川県大磯町東町2-9-1

【URL】https://oiso-h.pen-kanagawa.ed.jp/

アライブより
写真 フジテレビ提供

【アライブ がん専門医のカルテ】

がん治療に特化した腫瘍内科を舞台に、松下奈緒さん演じる腫瘍内科医の恩田心と、木村佳乃さん演じる消化器外科医の梶山薫が、患者とともにがんと闘っていく。清原翔さんは、腫瘍内科の研修医・結城涼として出演。現在、フジテレビ系で毎週木曜午後10時放送中。番組公式ホームページはこちら

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