ハイスクールラプソディー

ファクトリエ・山田敏夫さん 熊本高校 長距離走で学んだ「走り続ければゴールはある」

2020.05.04

author
宮本 恵理子
Main Image

実家が老舗洋品店だった山田敏夫さん。現在はメイド・イン・ジャパンの工場直結服飾ブランド「ファクトリエ」を展開しています。熊本高校時代に没頭した陸上と、会社経営にはある共通点があるそうです。

話を伺った人

山田敏夫さん

ファクトリエ代表

(やまだ・としお)1982年生まれ。熊本県出身。県立熊本高校卒業後、中央大学に進学。大学在学中、フランスに留学しグッチ・パリ店で勤務。一流のものづくり、商品へのこだわりなどを学ぶ。2012年、工場直結ジャパンブランド「ファクトリエ」を展開するライフスタイルアクセント株式会社を設立。

不器用だった子ども時代

――ご実家が老舗の洋品店。物心ついた頃から、お店番の手伝いをしていたそうですね。

 両親と兄と僕の4人家族。熊本の商店街で100年以上続く婦人服店で育ちました。学校から帰ると、1階のお店を通って2階の家にランドセルを置いて、店に顔を出すのがほぼ日課。母の接客を待つ常連さんの話し相手になったり、見よう見まねでディスプレーを手伝ったり。父からよく言われたのは、「どうせやるなら、すぐやりなさい。気持ちよく行動しなさい」。お正月には店先に立って、「福袋いかがですか〜」と道行く人に声をかけるのが僕の仕事。たまに同級生が通ると恥ずかしかったですね(笑)。

僕は次男ですが、小学生の頃から自分が家業を継ぐものだと思っていました。というのは、不登校だった兄が、小学6年生のときに信頼できる先生と出会えたことをきっかけに、「僕も教師になりたい」と夢を口にしたんです。僕はそれがとても嬉しくて、兄の夢を応援したいと強く思ったんです。すぐに「あれ? ということは店を継ぐのは自分ってこと?」と気づいたわけですが。

――どんな子どもでしたか?

 今でもそうですが、とにかく不器用でした。スポーツを何か身につけたいと、剣道、野球、バスケットボール、サッカーをそれぞれ3年以上頑張ったのですが、どれも上達せず、レギュラー選手には一度もなれず。水泳は4歳から10年続けたのに、最後まで飛び込みができませんでした。

勉強も決してできるほうではなく、小学校低学年の頃に塾に入ろうとしたら、入塾テストの時点で「おことわり」される始末。中学校に入ってもずっとその調子で、「ちょっとやそっとの努力では人並みになれないな」という確信が徐々に芽生えていました。

山田敏夫さん1
撮影/小黒冴夏(朝日新聞出版写真部)

「走り続けていれば必ずゴール」を体感

――熊本高校という県内有数の進学校に入学したのは?

ずっと勉強ができなかった僕ですが、歴史だけは好きで、中学2年生のとき、社会科のテストで初めてクラスで1番の点数をとれたんです。それを先生が褒めてくださったことが、すごく嬉しくて、急にやる気のスイッチが入りました。特別な表現ではありませんでしたが、勉強で褒められたことがなかった僕にとっては、自信を持つきっかけになったんです。

 小学校時代に一度は断られた塾に入り直し、猛勉強して成績アップ。見事、受験にも成功しました。けれど、高校に入ると、周りの優秀な同級生にのまれて、成績はいつも最下位クラス。「僕はピラミッドの底辺で、皆を支えているんだ!」と自分を励ましていました(笑)。

――高校生活での一番の思い出は?

陸上部での活動ですね。何をやっても芽が出なかった僕ですが、持久走では少し結果を出せたことに希望を見いだし、陸上部の長距離ランナーになったんです。最初の大会では1位に2周差をつけられてしまうほど遅かったのですが、人一倍練習を続けて、高校3年の秋に迎えた最後の大会では優勝することができました。

 長距離走という競技は、「走り続けていれば、必ずゴールにたどり着ける」ということを僕に教えてくれました。どんなに時間がかかったとしても、足さえ止めずに進み続けていたら、いつかは目標へと到達する。この事実を体感できたことは、僕にとって大きな救いになりました。

山田敏夫さん高校時代
高校時代の山田さん(本人提供)

――高校時代に長距離を走っていたときと、「ファクトリエ」を立ち上げてから。共通点はありますか?

 今の僕も、ずっと長距離走を続けているようなものです。「日本の素晴らしいものづくりを未来につなぎ、世界にも誇れるブランドにしたい」という夢は壮大で、いつ達成できるかわかりません。正直に言って、うまくいかない時期もありますし、理想と比べたら今はまだ暗いトンネルの中にいるようなもの。けれど、トンネルの中であっても、一歩一歩、自分の足で踏みしめて走り続けている瞬間に僕は幸せを感じています。それは、「この先にきっとゴールがある」と信じ切れるからです。

他の人が選ばない道を選ぶ

 ――「店を継ぐのだろう」と思っていた山田さんが、起業に至った経緯は?

 とりあえず経営を学ぶために大学は商学部に進学。在学中の交換留学制度でパリに留学したことが、大きな転機になりました。留学先にフランスを選んだ理由は、「英語圏では他の学生に勝てないから」。不出来な自分が活路を見出すには、“王道”ではない道を選ぶしかない。そんな思考回路がすでにできあがっていたのです。

 パリでは大学に通いながら(高級ブランドの)グッチの店舗のアシスタントとして働きました。そこで出会ったフランス人の同僚から言われた「日本には素晴らしいものづくりの伝統があるのに、メイド・イン・ジャパンの服飾ブランドがないのはどうしてだ?」という言葉がガツンと胸に刺さり、起業の原点となりました。

 大学を卒業した後は人材系広告会社やアパレル系通販運営会社を経て、2012年に起業。友人7人にボランティアで手伝ってもらいながら、アパートの一室から始まりました。

――山田さんが事業を通じて切りたい「ゴールテープ」とは?

 “作り手の思い”で選ぶ消費の文化が、服だけでなく、食べ物やインテリア、すべての分野で広がっていく。そんな世界を見ることですね。

 現在は、全国各地にある約55の工場と提携して、シャツやデニムなどオリジナル商品を開発し、通販サイトで販売しています。作り手の顔が見えるものづくりの物語を、僕たちが伝えていくこと。それによって、素晴らしい技術を持つ工場が利益を上げ、若い人材も集めて、日本の産業の希望の星になってほしいと願っています。ものづくりにこだわりや情熱を持つ個性豊かな作り手が増えれば、より多彩でワクワクできる社会になっていくはずです。

 そうそう、今一緒に働いている仲間には、高校時代の同級生もいるんですよ。あの頃と何も変わっていない自分をさらけ出していると思います(笑)。

――不安を感じたり、焦ったりしてしまう。そんな若者たちにメッセージを。

 僕自身がいつも心がけてきたのは、世の中の大多数が選ぶ評価基準ではなく、自分が勝負できる評価基準を探してみること。今いる池では溺れてしまいそうならば、安住できる池は他にないだろうかと見渡してみるといいと思います。

 他の人が選ばない道を選ぶということは、お手本もないということで、「どうしたらいいんだろう?」という選択の連続です。迷いながら走る日々はハードですが、自分で未来を切り開いていくような充実感があります。

山田敏夫さん2

熊本県立熊本高等学校

1900年の創立以来、「士君子」たるの修養を目標とし、徳性、智能、体力ともにすぐれた人物の養成を図る。モットーとする「士君子」とは、21世紀の国際社会でリーダーシップを発揮する能力と異質な文化に対する柔軟な心を備え、どんなときも品位ある態度をとることができる人間のことである。県内屈指の伝統校で政財界をはじめ、さまざまな分野で活躍する人材が輩出している。

【所在地】熊本市中央区新大江1-8

【URL】https://sh.higo.ed.jp/kumamoto/

新着記事