9月入学は是か非か

『教育格差』を著した松岡亮二・早大准教授「9月入学で学力格差は埋まらない」

2020.05.07

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山下 知子
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多くの学校で休校期間が2カ月に及ぼうとしている。緊急事態宣言の解除の先延ばしで、休校は一体いつまで続くのか。先が見通せないなか、「9月入学」を求める声が現役高校生らから噴き出し、その是非をめぐり賛否両論が白熱している。教育格差の現状に詳しい、早稲田大准教授の松岡亮二さんに5月初め、議論をどう受け止めているか、何を優先すべきかを聞いた。(写真は、熊本市立小で行われているオンライン授業)

話を伺った人

松岡亮二さん

早稲田大学准教授

(まつおか・りょうじ) 専門は教育社会学。米ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。 博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー、統計数理研究所特任研究員などを経て、早稲田大へ。2019年7月に出した『教育格差――階層・地域・学歴』(ちくま新書)は、膨大なデータを丁寧に分析し、「生まれ」による格差の現状をあぶり出し、新書大賞2020(中央公論新社)で1年間に刊行された1500点以上の新書の中から3位に選出された。

休校以前から「生まれ」による学力格差

――「9月入学制」の議論が盛り上がっています。どう受け止めていますか?

9月入学・始業の理由として、「休校長期化による学力格差の是正のため」を挙げている論者が少なくないようです。しかし、実証研究先進国である米国の研究や日本のデータを見る限り、学校が再開しても、一度開いてしまった格差が現在の学校教育で大きく縮小することはないと思います。

新型コロナウイルスによる休校の前から、本人に変えることができない「生まれ」である親の最終学歴や世帯収入といった社会経済的地位(socioeconomic status、以下SES)によって学力などの教育成果に差のある「教育格差」が存在します。たとえば、両親が大卒のような高SES家庭の子どもは高い学力を持つ傾向にあります。このSESによる学力格差という傾向は、小学校入学時点ですでに存在し、義務教育期間(たとえば小学校4年生から6年生までの間)に、学年が上がるにつれ大きく変わるわけではありません。すなわち、早い段階で確認できる格差は、学校教育があっても大きくは拡大も縮小もしません。データで見る限り、現在の学校教育はSESによる学力格差をゼロにできているのではなく、格差拡大を押しとどめることで精一杯だと考えられるのです。学校を9月入学にしたところで、もとからある学力格差が大きく埋まることはないでしょう。そのうえ、家庭や地域によって教育機会の差があるので、休校中に格差が拡大していても不思議ではありません。

――9月始業とし、時間をかけて授業をすることで格差は縮まりませんか?

9月から全国で学校が再開できたとしても、「コロナ禍前からあったSESによる学力格差」と「休校期間中に拡大したであろう学力格差」が合わさった状態での始業です。「仕切り直し」にも「リセット」にもなりません。対面授業で学習指導要領の内容を一通りなぞれば、休校期間中に教育的刺激が少なかった低SES層の学力が底上げされることで多少格差が縮小することはあるかもしれませんが、同時に高SES層も学校で学びますので、休校期間中の格差がゼロになるとするのはあまりに楽観的ですし、「コロナ禍前からあったSESによる学力格差」が消えるわけではありません。また、将来的にデータを取得して確認すべきですが、学力だけではなく学習習慣や非認知能力など様々な格差が広がっていると推測します。

9月入学にすれば教育格差を是正できるという発想には、「学校があれば全員に“同じ”教育機会が与えられている」という前提がないでしょうか。それは、機会はあるのだから後は本人の能力と努力で乗り越えられるはず、という文科相の「身の丈」発言の背景に近い認識ではないでしょうか(参考記事:『萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと』〈講談社現代ビジネス2019年11月3日〉はこちら

【文中写真】子ども食堂
長引く休校で、子ども食堂では弁当配布の動きが広がっている

データに基づき低SES層への追加投資を

――しかし、9月入学にすることで、課題が一気に解決するような気運があります。

日本のICT環境は先進国の中で最低水準です。9月入学論が、これまでの手抜きを不問に付すための煙幕になっていないでしょうか。

――欧米などでは秋入学が一般的に行われています。日本もこれを機に、「世界標準」に合わせ、国際化を図るべきだとの主張もあります。

平時に議論するのはよいと思います。長期的には国際化のために9月入学にするのも個人的には賛成です。しかし、休校が続く中で優先順位が高いでしょうか。秋以降にコロナ禍だけではなく天変地異などの緊急事態で休校となったとしても、SESによる格差拡大を可能な限り抑制できるように、ICT環境の整備を先に進めるべきではないでしょうか。

――格差の点からみると、いましなければならないことは何でしょうか。

ICT環境の完備とオンラインで受けることができる教育の標準化だと思います。家庭や学校によってはすでにICTを活用したよい実践例が出てきています。他国の事例も含めた試行錯誤を参考に、教師が授業に組み込みやすい動画や教材などを文部科学省が率先して提供すべきではないでしょうか。

全員が使える資源を増やす一方で、低SES家庭と低SES地域にある公立校を把握し、優先的に支援することも大切だと思います。ただ、残念ながら、日本では平時からまっとうなデータを取得していません。定期的にデータを取得していれば、コロナ禍のような緊急事態になった際、低SES層の子どもと学校に対して、たとえば、優先的に端末を配布することができます。

――休校の教訓として、普段からデータを充実させる必要がある、と。

まっとうなデータで積極的に実態を明らかにせず、“equal treatment”(同じ処遇)をするだけでは、未就学段階で存在する差をゼロにすることはできません。前を走っている人と同じ速度ではいつまでも背中の大きさは変わらず追いつくことはできませんよね。学校期間中であっても高SES層は習い事や塾など学校外の教育機会を得る傾向にあるわけで、低SES層に対する追加投資をしないのであれば、これまでのように「生まれ」によって学力や最終学歴に差がある教育格差が縮小することはないと思います。何しろ戦後ずっと「生まれ」による教育格差はあるのです。これまでと同じような教育投資量と制度で格差が縮小するとは思えません。

今後は形式的な機会を付与するだけではなく、結果を出すことにもっとこだわるべきではないでしょうか。そのためには定期的にSESと学力以外の観点も含めた様々なデータを取得し、どのような教育実践であれば実際に子どもたちが伸びるのかランダム化比較試験などで効果検証することが必要だと思います。

コロナ禍が去っても、目には見えづらい、もとから存在する格差と休校期間で拡大したであろう格差は残ります。「みんな大変だったけど、乗り越えた」という「解釈」で、SESによる格差という実態が「世の中そんなもんだよ」と「追認」されないことを願っています。

コロナ禍を奇貨とするために今集中すべきは、「生まれ」による学力格差を是正できない9月入学への制度変更ではありません。データによる実態把握、低SES層への追加投資、効果検証、そして、これらのサイクルをまわすために必要な人員と予算の確保です。低SES層に多くの犠牲を出す派手な「改革」ではなく、一人でも多くの子どもたちが無限の可能性を追求できる条件の整備という地道な取り組みを始めませんか?

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