9月入学は是か非か

中原淳・立教大教授「9月入学より『子どもの学びをとめない』ことに集中を」

2020.05.06

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柿崎明子
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多くの学校で休校期間が2カ月に及ぼうとしている。緊急事態宣言の解除の先延ばしで、休校は一体いつまで続くのか。先が見通せないなか、「9月入学」を求める声が現役高校生らから噴き出し、その是非をめぐり賛否両論が白熱している。自身のブログで「この緊急事態下において、義務教育から大学教育まですべてを2020年9月入学にするというアイデアには、反対を表明します」と述べた立教大学の中原淳教授に、その理由と、今は何に注力すべきかを聞いた。

話を伺った人

中原淳さん

立教大学経営学部教授

(なかはら・じゅん)東京大学教育学部卒業。米マサチューセッツ工科大学客員研究員、東大講師・准教授などを経て、2017年から19年まで立教大学経営学部ビジネスリーダーシッププログラム主査。18年から現職。同大学院リーダーシップ開発コース主査でもある。専門は人材開発、組織開発。

「9月移行で解決」は危機の見積もりが甘い

――今年の9月入学導入には反対と表明されている理由は何ですか。

9月入学を議論するコスト、実現するためのコストをかけるのなら、今ただちに優先するべきは、アナログ・デジタル問わず、どんな方法を使ってもいいので、「子どもたちの学びをとめないこと」に注力することだと思うからです。一番心配なのは、2020年9月に入学時期を移行すると決めた時点で、「4月から8月まで何もできなくても、やむを得ない」という雰囲気が学校関係者や教育関係者の間に起こりかねないことです。9月入学のためカリキュラムの再編成の作業が膨大になりますので、「子どもの学びがとまって」しまい、子どもたちが「宙ぶらりん」になってしまう可能性があります。休校していても学べる家庭と、そうでない家庭の格差は広がります。

現在、ようやく自治体・各学校で、ホームルームをオンラインで行う、Webでプリントを配布する、子どもに連絡を取るなどの努力が始まりました。9月入学論は、そうした現場の地道な努力に水を差します。9月に移行すれば、「ヨーイドン」でみんな一斉に始められるとの意見がありますが、その間にもすでに学び続けている子どもたちがいます。家庭の格差、住んでいる場所による格差は、さらに開いていくでしょう。

緊急事態下は、あれもこれも、たくさんのことはできません。今、一刻も早くやるべきなのは、子どもの学びをとめないことです。どんな方法でもいいので、早く動き出し、生徒とつながり、子どもの生活リズムを取り戻し、学びを復活し、学びを継続させる基盤をつくることを最優先すべきです。

これは私見ですが、教育業界は「全部の家庭に一律に教育を届けることができるまでは動き出さない」という「行きすぎた平等主義」に自己呪縛されているようにも見えます。平時にはそれも正論ですが、今は緊急事態です。緊急事態下は「まずはできることから動き出すこと」です。動き出せば、現状が見えてきます。動き出すのと同時に、一刻も早く各家庭を調査して実態を把握し、必要なサポートや支援を徹底的に行っていくことです。オンライン授業を実現するならば、ネット環境がない家庭にはルーターやパソコンを貸与・配布することも含まれるでしょう。そういう基盤をいち早く整え、学校に登校しなくても自宅でオンライン授業を行える環境を整えることが喫緊の課題だと思います。それが最も格差を少なくする方法だと私は思います。

――ここに来て9月入学論が出てきたことについてはどう思いますか。

非常に唐突だと感じました。「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と考える惨事便乗型の変革(ショック・ドクトリン的な変革)の典型例だと思います。また、そもそも、論がかみ合っていないように感じます。その理由は、あまりに唐突で論点整理ができていないからではないでしょうか。論の混迷は、時期・校種などがあります。2020年から始めるのか、21年なのか。また大学に限定するのか、幼小中高大とすべてに導入するのか。焦点を定め、それぞれに応じて議論を交わすことが前提だと思います。

――他には反対の理由がありますか。

第2の理由は、9月入学論には2020年9月に移行しさえすれば、リセットボタンを押すように、通常通りに学校を再開できるはずだという背後仮説が透けて見えることです。これは「希望的観測」であると私には思えます。山中伸弥・京大教授が言うように、コロナとの戦いは「短距離走」ではなく「長距離走」を覚悟しなくてはなりません。一度沈静化しても、有効なワクチンや特効薬が行き渡らない限り、感染拡大はいつ起きるかわかりません。再び学校を休校にする事態になったり、教員や生徒がコロナにかかったりした場合は、その学級を休校にしたり分散登校にしたりする可能性も出てきます。だとするならば、今、私たちが徹底して行っていくべきことは、今後1年から2年の間、「どんな感染拡大」が起こったとしても、「学びをとめないですむための基盤」を早急に整備することです。大切なことはたった一つです。

9月入学に移行すればすべて解決するという議論は、危機の見積もりが甘いと感じます。

教員向けオンライン授業研修
公立高校教員向けのオンライン授業研修

東大在職時の秋入学構想で体験したこと

――先生は2018年から立教大学に移籍されましたが、前職の東京大学在職時、当時の濱田純一総長が秋入学構想を提唱しましたね。

個人的に、私は、濱田先生の提唱なさった9月入学論に賛成していました。ただ、それが断念に至ったプロセスも、つぶさに見てきました。あの当時は「総論賛成、各論反対」で、社会は具体的な議論に入ると「はしごをはずして」いきました。各論に入ると、入試や公的試験、就職活動の時期、学校間の連結などの問題が表面化し、お互いに譲らず、議論はロックダウンしてしまった。9月入学とは、単に時期を動かせばいいという問題ではないのです。9月入学とは、国を挙げて「社会システム」を動かすことなのです。そのためには、お金も人材も時間も相当につぎ込んで用意周到にしなければなりません。今はそのリソースを、学びをとめないことに向けてほしいと思います。

――グローバル化を進めるため、海外に合わせて9月入学にすべきだという意見があります。

はたして日本の大学のグローバル化が進まないのは、入学時期のずれだけが問題でしょうか。僕はそうではないと思います。話を留学だけに絞って考えてみましょう。まず日本人の留学に関しては、就職時期などがネックになります。日本の就職活動が始まるのは3年次の6月ごろですが、留学時期によっては帰国後に出遅れてしまいます。また、家計が逼迫(ひっぱく)していて、あまり余裕がありません。留学で必要以上の経済的負荷を負わせないためには、海外の大学と協定を結び、留学生を交換することで学費の負担をなくす態勢を整えなくてはなりません。9月入学が実現していないから、日本人が留学しないわけではないのです。

一方、海外の留学生が日本に来ないのは、英語に対応できる事務体制がない、英語で履修できる授業があまりない、奨学金制度が不足している、寮が不足している、などの要因があり得ます。9月入学だけを行っても、グローバル化を達成していくことは困難です。それは、総掛かりで、あらゆることをやっていかなければならないのです。

濱田純一・元東大総長
秋入学への移行を目指したものの頓挫した濱田純一・元東大総長

問題提起した高校生の気持ちはよくわかる

――今回の9月入学論は、大阪市の公立高校の生徒が「本来の学校生活を送れないまま3月に卒業するよりは、まだ全うするチャンスが生まれる」「地域格差や情報格差などもいくぶんは解消される」と署名活動を始めたのがきっかけで、知事たちが提唱するようになりました。高校生の声をどう受け止めますか。

高校生や学生の気持ちはすごくわかるし、その思いには共感します。広がりゆく格差に心を痛めます。また、現在、地域によって「学びがとまっている現実」には、教育者のひとりとして、面目のなさを感じてしまうほどです。高校生の問題提起も、そのように学びがとまっていること、格差が広がっているのに教育現場がなかなか動き出さないことへのいらだちなのではないでしょうか。

家庭の経済格差が進路選択に影響しているのは歴然たる事実で、コロナの影響で格差がさらに広がるのもその通りだと思います。とりわけ今後は、受験生に対するケアは、絶対必要です。これは個人的な考えですが、AO(総合型選抜)や推薦入試(学校推薦型選抜)のあり方、入試範囲、あるいは入試方法など、現状の運用ルールを変えざるを得なくなるのではないかと思います。この場合、重視するべきは、ただちに「学びを復活させ、かつ、公平な入試を受けられるように努力を行うこと」です。それだけでも、膨大な作業と議論を必要とします。

先に述べたとおり、9月入学に移行するというのは、生徒や教員、保護者、教育関係者、企業関係者などが議論し、社会全体に幅広いコンセンサスを得ることが必要です。会計年度とのズレの回避、公的試験の仕切り直し、就職活動の見直し、幼小連携の再整備、高大社連携の再整備、入試制度の改定、教育機関においては経営の見直し、各種の法律改定、異なる年齢が同一学年になってしまうことの問題解消、学事暦改定、カリキュラムの総見直し……など、これらの議論と作業には、膨大なコストがかかります。

かつて、大学入学共通テストに導入予定だった英語民間試験や記述式問題がさまざまな理由で頓挫しました。9月入学はその10倍、いや100倍ほど労力がかかると私は思います。それを半年足らずでやろうというのは無謀です。その膨大なコストをかけるくらいなら、やるべきことに焦点を絞ったほうがいいと思います。

今回のことで痛感するのは、学校は、これまでの学びのみならず、様々な物事を子どもや社会に提供してきたということです。

学校は、子どもの生活のリズムをつくってきました。

学校は、子どもに毎日、声をかけてきました。

学校は、子どもたちにつながりを提供してきました。

今、優先するべきは、アナログであろうとデジタルであろうと、どんな手段でもいいので、「学ぶことをとめないこと」を基盤としながら、学校が社会に提供してきたことを復活させることだと思います。これまでの教育現場の努力に敬意と感謝を表し、改めて、そのことを主張したいと思います。

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