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武蔵中学・高校 杉山剛士校長に聞く 中学受験か高校受験か、メリット・デメリットは?

2020.05.15

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柏木 友紀
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大学入試改革に早めに備えたいなどとして、中高一貫校を目指す家庭が増えています。高校募集を停止する進学校も増えるなか、中学受験と高校受験、どちらを選択すべきなのか? 県立浦和高校元校長で、現在は私立武蔵中学・高校校長の杉山剛士さんに聞きました。

話を伺った人

杉山剛士さん

武蔵高等学校・中学校 校長(埼玉県立浦和高等学校元校長)

1957年東京生まれ。東京大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。専攻は教育社会学。埼玉県教育局文教政策室長、埼玉県立熊谷西高等学校長、埼玉県教育局高校教育指導課長、埼玉県立浦和高等学校長を経て、2019年4月より現職。

昨年、大学入試改革の議論が大揺れしました。

課題は当初から指摘されていました。政治が無理に始め、また政治で幕が引かれた印象です。大学入学共通テストでの記述式など多様な力を50万人一斉に統一基準で測るのは困難です。明治の学制発布以来、「不学不邑(村に学問をしない人はいない)」「教育の機会均等」は教育政策の基本だったのに、教育格差の問題と、採点や評価の整合性の問題に突き当たってしまった。図らずも文部科学大臣の「身の丈発言」が、本質を突いたのは皮肉です。子供たちは翻弄され、どう変わるかばかりに目が行ってなぜ変わるのかの目的が最後まで置き去りでした。

これからの時代を生きるには、基礎的知識を踏まえたうえで、判断力、思考力、表現力といった力が必要です。それを育てるため、浦和高でも武蔵でも以前から主体的で探究的な深い学びを実践してきました。たじろぐことはない。英語も、共通テストは結局「2技能」になったから、これまでのマークシート問題通りで「読む・聞く」だけをやっていればいいかといえば、そうではありません。「読む・聞く」でインプットし、思考し、「書く・話す」というアウトプットも、当然両方やらないといけない。国公立の2次試験などでは記述式も必要です。本来は多くの学生が受ける私大上位校が記述式や英語4技能をどう取り入れるかが大きいのに、先に50万人もが受けるナショナルテストの議論に行ってしまったことも問題です。

杉山剛士校長
杉山剛士校長

小さい頃から、思考力や生きていく力を育てるにはどうすればよいのでしょうか?

何より、「子供に考えさせること」。なぜなの? どうして? どのように? 子供たちがどう答えるか、親も楽しむぐらいの気持ちで対応する余裕が欲しい。つい「早くしなさい」とやってしまいますが、忙しい自分を少し横に置いて、冷めている自分も必要です。

そして「本人に選択させること」。中学受験にするか、高校受験にするかも、選択肢は用意するけれど最後は本人に選ばせる。早いうちにこれをやらないと、人に依存したまま大きくなってしまい、自分で仕事が選べない、あるいは親のほうも就職や結婚相手について反対するなど、大きな選択の時に互いに不幸なことになってしまう。自分で決めた結果には責任を持つことが大事。自分で小さな選択を積み重ねていくことです。痛い目に遭ったり、人に励まされたりなどの積み重ねが必要です。それを乗り越える力を身につけさせることが教育の大事な部分なのです。

武蔵の授業で工夫していることは?

私はいつも、三つの「こう」が大事だと思っています。好奇心、向上心(他人との比較ではなく、昨日の自分を超えていく)、そして公共心(人のため、公共のため)。それには、「自調自考の精神」と「わくわく・ワイワイ」です。武蔵では、建学の精神の中でも、とりわけ「自ら調べ、自ら考える力」を重視してきました。今回の新型コロナウイルスのパンデミックのように、先が見えない時代には、自分の頭で考え、自ら調べ学び続けることが大事です。好奇心の芽をつまず、皆でワイワイ学んでいく授業を重視しています。そして学校という同質的な世界を経て、グローバルな社会で価値観も育った環境も異なる他者と協働し、対話を重ねていくには、「公共心」が不可欠。弱い人たちの立場に共感できる「人としての優しさ」や「寛容」はますます大切になってきます。

勉強に関しては武道でいう「守破離」。まず型を守る、次に型を破る、そして型から離れるのです。最初から「離離離」はダメで、面倒見が良すぎて型にはめる「守守守」もダメ。基礎基本を身につけたうえで、論理的思考力や読解力をつける。守破離のバランスが大事です。武蔵もそうですが、進学校は論理的思考力などを伸ばすカリキュラムで「離」は得意なので、それは伸ばしながら、逆に基礎基本の「守」もしっかりやりたいと思っています。

武蔵の正門は4月1日から閉まった。(杉山校長撮影)
武蔵の正門は4月1日から閉まった。(杉山校長撮影)

中学、高校を選ぶ時のポイントは? 何を重視すべきでしょうか?

自分の人生の基盤はどこにあったかと年を重ねて振り返るとき、やはり10代にあったのだなと思うのです。後から自分の人生を肯定的に振り返ることができる、その基盤を作るのが学校だと思います。この学校で、その空気を10代のときに吸ったら幸せかどうか、その雰囲気や文化が自分に合うかどうか。

学校によってカラーが違うという意味で言えば、例えば浦和高は昨年度もラグビーで花園に出ました。「集団力」まさに「ワンチーム」という校風の結果です。朝7時ぐらいから学校で一緒に教え合って勉強し、部活をして、そのあと夜9時ぐらいまで学校で勉強して。部活も勉強も、本当にみんなで助け合う雰囲気なのです。

たまたま浦和と武蔵の両方に「強歩大会」があるのですが、これが全く違っていて、どちらもいい。浦和では、茨城県古河市まで50キロを7時間で歩く。時速7キロ超、小走りでないと行き着けない。強歩というよりマラソンです。お互いに励まし合って、8割以上が制限時間内にゴールします。支え合って仲間の力を信じるということが体現されている学校です。「世界のどこかで、社会を支える人になりたい」と子供たちは言う。公共心が強い。

一方で武蔵の強歩大会は、20~30キロ。というのも、毎年コースが変わるのです。生徒たちがすべて自分たちで下見して、地元や警察とも交渉して、自分たちで運営する。この調整力はすごい。企画を立て、さまざまなことに配慮して、実現にこぎつける。そして楽しむ。制限時間もゆっくり10時間。走ってはダメ。また中1にとっては、年の離れた大きな高3のお兄さんがいるわけです。その人たちと一緒に取り組めるのもメリット。あんな風になりたいなというキャリアモデルの存在も大きい。

今年2月に行われた武蔵の競歩大会(杉山校長撮影)
今年2月に行われた武蔵の競歩大会(杉山校長撮影)

中学受験がよいか、高校受験か、どちらを選択すべきか、悩む家庭が増えています。

中高一貫の6年か、あるいは中学・高校を3年・3年か、というシステム上の違いはあり、それぞれにメリット・デメリットがある。しかし、最初に結論を言っておくと、繰り返しますが、大事なことはその学校の培っている文化、校風、空気なのです。中高一貫でも、中高それぞれ3年間ずつでも、規律がしっかりしているところもあれば、自由なところもある。将来の幸せに向け、どんな空気が自分には合うのか考えてもらいたい。

6年一貫教育のいいところは高校受験がない分、時間的ゆとりがあるので、一般的にはのびのび自由。ただ、比較すれば教育にお金をかけられる家庭の子が集まるので同質性の高い社会になる。そしてどこの一貫校もだいたいそうなのですが、内部で勉強の得意な子と、そうでない子の二極化に悩みがち。勉強以外の価値、先ほど申したような学校の雰囲気などに別の価値を見いだせる場合はよいけれど、勉強至上主義だと不得意な子は居づらくなっていく。中学受験に成功して私立の中学に入った子で、高校で県立や都立を受けたら入れない子は少なくない。

これに対し、高校入学組は、入試というセレクションで輪切りされて入っているので、学力のバラつきは少ない。そして家庭環境や価値観が多様な子供たちがいて、異質な他者と分かり合って協力していく経験が積める。公立中学を経ているので、そこでさまざまな多様性を体験しているし、中3で部活や行事のリーダーの経験も積めます。

生徒のいなくなった校舎前では小彼岸桜(コヒガンザクラ)の花が咲いていた。(今年3月2日、杉山校長撮影)
生徒のいなくなった校舎前では小彼岸桜(コヒガンザクラ)の花が咲いていた。(今年3月2日、杉山校長撮影)

中高一貫に行かなきゃダメだとか、高校受験じゃなきゃダメだ、とか思わない方がいい。ただ、東京は中高一貫校が増え、高校から取らなくなる学校が相次いでおり、悩ましい問題です。社会的選抜をどの段階で行うのか、というのは教育社会学でも大きなテーマ。中学受験は12歳、高校受験は15歳、大学なら18歳。どこで行うのが個人にとって、また社会にとっていいのか。あまり低年齢化すると、生まれや家庭環境で決まってしまう。学制発布の理念と違ってしまう。そしてヨーロッパに多いのですが、社会の階層化が進んでしまい社会の活力が弱くなるという課題がある。アメリカはどちらかというと逆で、多様性のある社会。ハーバードとかスタンフォードやUCバークリーなんかは、同じ高校からせいぜい数人しか入っていない。東大にはある特定の学校から180人とかまとめて入っているというと、驚かれる。それで社会の多様性が確保できるのか、と。長期的に見ると、階層化、固定化で社会が活力を失ってしまうのではないかという危機感があります。

そして塾歴社会。中学受験をして希望校に入っても、また大学受験のために塾へ行ってガンガンやらないといけないような気になりがちです。短い先だけを見て焦るのではなく、長い目で、広い目で見ることです。

「なぜ受験をするのか」と聞くと、いい大学にいき、いい就職をしたいからとなるけれども、では「幸せな人生」とは何か。家族がいて、いい友人関係に恵まれ、経済的にはそれなりに安定していて、健康で生き生き過ごせて、社会的に信頼されていて……、とか答えるでしょう。そこに「いい大学」「いい会社」という言葉は入ってこない。大学や就職は手段であって、目的ではないからです。

人はどこで伸びるかわかりません。そして子供は、親の思ったようにもなりません。自分で道を切り開いて、人にやさしい人、「自利利他」を併せ持つ人になってほしい。自分のためにやったことが人の喜びにもなり、人のためにやったことが、自分のためにもなる。そんな生き方ができる子は幸せだなと思うのです。

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