緊急連載 濱田純一・東大前総長が語る「9月入学論」

第1回◆価値観を変える覚悟がなければ9月入学はできない

2020.06.12

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EduA編集部
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4月下旬から浮上した「9月入学論」で必ず引き合いに出されたのが、10年近く前に大議論になった東大の秋入学構想だった。当事者である当時の総長、濱田純一氏が秋入学構想を振り返り、日本の大学や社会に求められることを語る。(聞き手・中村正史、写真はインタビューに応じる濱田純一氏=2020年6月)

9月入学への転換は手遅れになる前の取り組みが必要

――今回の9月入学論は「ショックドクトリン」(惨事に便乗して過激な改革を強行する)とも批判されていますが、どう考えますか。

たしかに、そうした批判は当たっていると思います。ただ、同時に、残念ながらショックドクトリンがないと、大きな改革はなかなか真剣に考えられないことも事実です。物事が落ち着いてしまうと、政治家も普通の人たちも、社会の根幹部分を改めて見直そうとはならない。ショックドクトリンのリスクをわきまえたうえで、こういう時だからこそ、9月入学を真剣に考え始めるということにもなるのだと思います。

私は9月入学への転換は、日本社会として手遅れになる段階に近づいてきているのではないかと懸念しています。さまざまな制度を変更するためには、大きな投資を支える経済的な力、深い議論を支える社会的な力が不可欠ですが、それらが弱ってきてはいないか。また他方で、大きな変化を正面から受け止めて効果的に生かすことのできる社会の意欲や活力がじりじりと減退してきてはいないか、気になっています。

9月入学論の話題のなり方にしても、たしかに国際化ということも決まり文句のように言われましたが、今回は傷つけられた学びの保障への対応という受け身的な課題に重点がありました。新しい時代、新しい社会をつくっていこうという積極的な性格のものではなかったので、国際化の意義や影響をはじめとする積極的な面での議論の深まりは見られませんでした。

むしろ急に盛り上がった導入議への反応で、9月入学への転換のためのコストの大きさも具体的に見えてきました。このようにコストが目に見えたことはよかったと思います。9月入学導入への覚悟を決めるには、その前提として、大きなコストをしっかり見据えておかなければならないからです。その意味では、今回、議論が一歩前に進んだ面もあるだろうと思います。

ただ、私たちが東大で秋入学を提起した時点でも、これ以上遅くなるわけにはいかないという切迫感に突き動かされていました。財界などの皆さんと議論していても、そのような切迫感は非常に強かったと思います。その頃から、もう10年近くが経とうとしています。この時間差はかなり深刻なものと受け取る必要があると思います。

最近の議論を見ていると、9月入学に変更すべきという意見はかなり多いのです。さまざまなアンケートを見ても、少なくとも入学時期は春というこだわりが薄れていることは明らかです。日本が国際社会の中で置かれている状況についての理解が、深まった結果なのでしょう。こうした状況の中で、では、9月入学を論じる意味とは何なのか、9月入学への取り組みをどう進めていけばいいのかということについての私の考えは、後ほど触れたいと思います。

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