学習と健康・成長

母校・栄光学園新校舎を設計監修した隈研吾さん 21世紀の校舎は「小さくなる」

2020.06.26

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ゆきどっぐ
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神奈川御三家の一つ・栄光学園。イエズス会の教えのもと、通学路の栄光坂や休み時間に行う中間体操など、11.1万㎡の緑豊かなキャンパスで体や五感を使って体験する学びを大切にしています。2017年に完成した校舎は世界的な建築家であるOBの隈研吾さんが設計監修。隈さんに自身の中学受験、そしてこれからの教育に必要となる建築について伺いました。

【話を伺った人】隈研吾さん

話を伺った人

隈 研吾さん

建築家

(くま・けんご)1954年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。これまで20カ国以上で建築を設計。「日本建築学会賞」、フィンランドから「国際木の建築賞」、イタリアから「国際石の建築賞」などさまざまな賞を受賞。Photo © J.C. Carbonne

建築家を志した 屋内総合競技場との出会い

――幼少期はどんな生活だったのですか?

神奈川県横浜市の大倉山で育ち、東京都大田区の田園調布にある幼稚園と小学校に通いました。母方の祖父がキリスト教系の信者で、幼稚園はそういう教育のもと育てたいという母親の意向だったようです。

当時の田園調布は上質で落ち着いた住宅街。一方、大倉山は里山のある田舎でした。幼少期から二つの街を相対的に見る貴重な体験ができましたね。

――建築家を目指したのは、小学4年生の頃に、丹下健三さんが設計した国立屋内総合競技場(現・国立代々木競技場)を見たのがきっかけだったそうですね。

そう。オリンピックが終わった頃に、父と屋内総合競技場に行ったんです。エントランスを入ると高い天井から光が落ちてきて、まるで映画「天地創造」みたいでした。当時の建物って天井の低い建造物がほとんどだったから、あんなに崇高な天井は見たことがなかったんです。

――お父様は建築関係の仕事をされていたんですか?

いえ、親父はサラリーマンでしたが、本当はデザイナーになりたかった人で、建物を見るのが趣味でした。1960年代はモダニズム建築の時代。前川國男さんが設計した東京文化会館や芦原義信さんが設計した駒沢オリンピック公園など、竣工したら必ず連れて行ってくれました。

――幼少期、ご両親とは、どのような親子関係だったんですか?

父は40代前半で結婚し、45歳のときに僕が生まれました。父は10歳の時に両親を結核で亡くしていて、親子関係や子どもとの接し方がわからない人でした。僕とは、会社の上司と部下みたいな調子で話すからギクシャクした関係でしたね。

一方、母親は親父より18歳年下で、普通の家庭環境で育った人。当時住んでいた家には母方の祖父母も一緒に住んでいて、祖母も僕に優しくしてくれました。田園調布の同じ学校に通う近所の女の子とも親しかったから、女性には良いイメージがあったけど、家父長制的だったから男性には恐怖心があった。だから中学生で男子校の世界に飛び込むのは、最初はとまどいがありましたよ。

隈さま1

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