緊急連載 濱田純一・東大前総長が語る「9月入学論」

第5回◆同じ課題をかかえているのは東大だけではない

2020.07.02

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EduA編集部
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4月下旬から浮上した「9月入学論」で必ず引き合いに出されたのが、10年近く前に大議論になった東大の秋入学構想だった。当事者である当時の総長、濱田純一氏が秋入学構想を振り返り、日本の大学や社会に求められることを語る。(聞き手・中村正史、写真は朝日教育フォーラムで講演する濱田純一氏=2013年2月8日)

東大だけが突出するのは持続可能でない

――日本の大学の中で、東大の影響力は極めて大きい。濱田さんは総長時代、東大が担っている役割をどうお考えでしたか。

私は東大の総長になった時、「旗艦大学の自負」といった言葉を述べたことがあります。東大は日本の大学のモデルとして先頭に立つんだ、同時に犠牲やコストも払っていくんだ、それによって次の時代の大学の姿をつくる役割を担っていると思っていました。秋入学もそうした思いで取り組んだのですが、ただ、いま改めて考えると、一つの突端をつくるシステムは持続可能ではないという思いも持ちます。むしろ本当は、さまざまな特性を持った大学の峰ができていくのが望ましいでしょうね。

米国にはハーバード大学だけでなく、イェール大学、コロンビア大学、スタンフォード大学などがあり、それぞれ特徴があります。英国もオックスフォード、ケンブリッジのほかに、ロンドンなどにもしっかりとした大学があります。ドイツでは連邦制度も手伝って、全国にいくつもの有力大学がある。ですから東大だけに大きな期待をかけるというのは、日本ほどの規模の国では異形です。日本には教育力でも研究力でも東大に匹敵する大学は、京大や東北大はじめ少なくありません。にもかかわらず、東大だけがモデルにされがちなのは、社会としての脆弱性が気になります。

一つの突端をつくるというのは、競争によってこそ、よりよいものが生み出されるという通念の時代には、無理があります。こうした歪みの背景には、歴史的な経緯から、あるいは投資の無難さや受験競争のシンボルという意味からしても、東大にそのような役割を果たさせることが効率的だし、人々も何となく安心できるという、社会の暗黙の了解があったように感じます。ただ、いつまでも、こうした開発独裁型、あるいはキャッチアップ型の時代の遺物という意識にとらわれるべきではないと思います。

――2000年代初めに、東大に対抗するために、一橋大、東京工業大、東京医科歯科大、東京外国語大、東京芸術大が連合を組んで、もう一つの峰をつくろうという大学連合構想が浮上したことがありましたが、実現しませんでした。日本の大学は東大に対抗する峰がいくつもある状態にはなかなかなりません。

いま思えば、高度成長が一段落して日本の国力に余裕がある時に、思い切った大学の再編成をしていれば、峰がいくつかでき、社会の意識も変わっていたかもしれません。東大も含めて大学間の相互乗り入れを徹底的に組織化する、あるいは極論すれば、大学間で教員をリシャッフルするとか、学生数を調整しあうとかしていれば、可能だったかもしれませんが、それをやるのは当然に各大学で強い反対が出るでしょうし、力のある政治家たちでも怖いでしょう。

ただ、そうしたことができないままに国の体力がなくなってくると、弱いところは切り捨てて東大などに集中的に力を入れるしかないという、いわば先祖返りのようなことになりかねません。あるレベルまではこのやり方で世界の大学についていけるけれども、ブレークスルーは生まれないだろうし、いずれ天井にぶつかると危惧しています。

念のために言っておきますと、東大の元総長としては、だからといって東大がトップの大学を目指すことは変わるべきではないと思います。ただ、トップとされる地位が社会の慣性や旧来の感覚によって支えられるのではなく、競争の中で社会的な選択をベースに勝ち取られるものであることが、東大にとっても日本社会にとってもよいことだと考えています。(第6回に続く)

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