緊急連載 濱田純一・東大前総長が語る「9月入学論」

第6回◆9月入学への期待は今後も続くだろう

2020.07.07

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EduA編集部
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4月下旬から浮上した「9月入学論」で必ず引き合いに出されたのが、10年近く前に大議論になった東大の秋入学構想だった。当事者である当時の総長、濱田純一氏が秋入学構想を振り返り、日本の大学や社会に求められることを語る。(聞き手・中村正史、写真は東大の秋季入学式で式辞を述べる濱田氏=2013年10月4日、代表撮影)

【話を伺った人】濱田純一さん

話を伺った人

濱田純一さん

東京大学名誉教授・前総長/放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長/映画倫理機構理事長

(はまだ・じゅんいち)1950年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科で憲法を専攻。法学博士号取得。同新聞研究所教授、社会情報研究所長、大学院情報学環長・学際情報学府長、副学長を経て、2009~15年、東京大学総長。

「秋入学構想は国立大学法人化の産物」と言われた

――大学の体力がなくなってきたというのは、お金のことですか。2004年に国立大学が法人化されて以降、運営費交付金が15年度まで毎年1%ずつ減らされてきました。

やはりお金の面は大きいです。それは日常の研究がやりにくくなるとか、老朽化した建物の補修ができなくなるとか、目前のことだけでなく、大学が「お金、お金」と苦労し、研究や教育以外のことに教員たちの時間が取られ、またパーマネント(終身)雇用の門戸がますます狭くなる様子を見て、若い研究者が大学に残ることを躊躇するようになっています。それがまた大学の体力を削ぐという負の循環が始まっています。

私が総長だった当時も、運営費交付金が徐々に減らされ、リーマン・ショックがあって経済界からも資金が出にくくなり、さらに民主党政権が事業仕分けを行いました。お金の痛みは、大学教員の誇りや意欲にもボディーブローのようにダメージを与えていきます。

一時、文系学部廃止の話題が飛び交いましたが、これもお金の入りにくい文系というイメージが重なって、深刻に受け止められたのでしょうね。そんな雰囲気が生まれてしまっては、学問の世界は成り立ちません。

特に東大の場合は、総合大学です。いろんな分野の知が集まって自由に交流できることに意味があるのですが、文系の知に対するリスペクトが薄れると、ひずみが生じ、東大らしくなくなってきます。AIや生命科学の分野などが急速に発展して、文理融合の知がますます求められているのに、これではいけません。

――運営費交付金のような基盤的経費が減らされたことで、教員や職員を雇えなくなりました。法人化を決めた時の文部大臣だった有馬朗人氏が最近になって「あれは失敗だった」と言っています。

法人化は、それ単独としての評価なら別ですが、財政再建や公務員削減の問題と絡んでいたがゆえに、根本的な欠陥がありました。それ単独としての評価と言いましたが、当時、ある理事が「秋入学を言い出せたのは、法人化の産物だ。法人化によって、総長が自分の意思と責任で判断して進路を決めるという意識ができたからだ」と言うのを聞いた時は、目からウロコという感じでした。たしかに、自分たちの責任で大学を運営していくんだ、大きな将来設計も自分たちでやるんだという感覚は、法人化によって強まりましたね。秋入学構想も文科省に事前に相談したりしていませんから。

ただ、お金が直接に絡んでくると、やはりここまで自主的にとはいかなくなってきます。東大だからこそ、最先端でなければいけないという自負があるだけに、財源に対する関心は高い。国や企業とも協力して財政基盤を整えないと、国際競争の中で研究のレベルを保てないという切迫感が強いですね。

だからこそ大切なのは、大学が依って立つ原理に自覚的であり続けることだと思います。それは一言で言えば、自律と批判の精神を忘れないことです。国や企業としっかり連携をとるとともに、そこでの距離を慎重にマネージする、その緊張感が大学のマネジメントの本質だと思います。

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