慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか

APU編③◆首都圏からの学生増は20年かけて築いた成果

2020.08.28

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中村 正史
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この30年の日本の大学に大きなインパクトを与えたのは、「大学改革のモデル」と言われた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)と、学生・教員の半数が外国人という立命館アジア太平洋大学(APU)だろう。奇しくも今年、SFCは30年、APUは20年を迎える。両大学は日本の大学をどう変えたのか、そして現在も開設当初の理念は受け継がれているのか、連載で報告する。
2000年代以降、大学も企業もグローバル化が急速に進み、グローバル教育が求められるようになったが、その先陣を切ったのがAPUである。その後、各大学が国際系の学部を次々に開設し、その動きは今も続いている。その現在とは、そして卒業生たちのその後は――。(写真は「ベトナムウィーク」で華やかな踊りを披露するベトナム人留学生=APU提供)

卒業生を実際に見てAPUの評価が変わった

首都圏からの学生がこの10年間で急増した理由は、何だろうか。APU東京オフィスの伊藤健志所長は、こう話す。

「国際学生を含め卒業生が首都圏でたくさん働くようになり、卒業生の姿が社会に見えるようになったことで評価が上がりました。海外とビジネスをしている親が子どもに勧める例も増えています。海外に赴任した総合商社の部長が、現地のAPUの卒業生ネットワークを見て、『自分が出た大学では太刀打ちできない』と子どもをAPUに入れた例もあります。以前は『APUは面白そうだけど、卒業したらどうなるの?』と言われていましたが、自分の職場などで卒業生を見るようになって変わりました」

横山研治・副学長の見方はこうだ。

「偶然ではなく、20年かけて築いてきた本物の大学評価の成果と見ています。国内学生も国際学生も大半は卒業後に首都圏で働きますが、会社の上司に当たる世代の人たちが『面白い大学だな』『卒業生がいいな』『旧来の日本の大学は飽き足らないので、子どもをAPUに入れてみるか』と卒業生を実際に見て感じているように思います」

国際学生(1学年約600人)のうち約250人は日本国内で就職し、その大半は首都圏で就職する。実はAPUは開学当初、国際学生が卒業後にこれほど日本で就職することは想定していなかった。2000年代以降に進んだ企業のグローバル化を背景に、英語も日本語もできて優秀な卒業生を日本企業が歓迎した。

2010年に国際経営学部を卒業したフォン・タさん(33)は現在、アマゾンジャパンのシニアプログラムマネージャーを務め、在日ベトナム人のキャリアアップを図るNPO「Vietnamese Professionals in Japan」(VPJ)を共同主宰している。都内に住み、同じベトナム人の妻はAPUの同級生で、外資系の人材派遣会社に勤める。

「APUの2年次に『ベトナムウィーク』のリーダーを務めたことが、自分の成長や今のキャラクターにも影響しました」と振り返る。

APUには、各国の伝統舞踊や音楽、料理などを紹介する「マルチカルチュラル・ウィーク」がある。国・地域ごとに週替わりで開催され、多くの別府市民も各国の文化を楽しむ。運営はすべて学生に任され、実行委員会メンバーの半分はその国・地域以外の学生が加わる。

最大規模なのが「インドネシアウィーク」と「ベトナムウィーク」。両国から来ている国際学生が多いため、スポンサーもたくさん付く。

APUはフォンさんの高校の先輩が行っており、紹介された。留学する人の多くは米国か英国に行くが、アニメなど日本の文化が好きだったことや奨学金をもらえたことから2006年秋にAPUに入学した。

最初は友達もいなかったが、ベトナムウィークや台湾ウィークに参加して友達がどんどん増えていった。2年次にベトナムウィークのリーダーになり、2カ月の準備期間をかけて企画を立て、チームをつくり、大学の職員と交渉して、スポンサー探しに回った。

「リーダーシップやコミュニケーションスキルを学びました」

就活では、「オンキャンパス・リクルーティング」を活用した。APU生に興味を持つ企業に来てもらい、会社説明会から採用選考まで学内で行う独自の方法で、現在でも珍しい。大手食品メーカーがベトナムで工場建設を予定していたことから興味を持ち、書類選考と1次面接まで学内で受けることができた。

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