慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか

APU編③◆首都圏からの学生増は20年かけて築いた成果

2020.08.28

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中村 正史
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シンガポールの勤務先はAPUに似ている 

昨年、APUを卒業した野口暁貴(としき)さん(24)は、シンガポールのフェイスブックに勤める。今はAPAC(アジア太平洋)各国のメンバーと連携しながら日本法人向けに広告営業をしている。連載第2回で紹介した学生に「APUはチャンスのビュッフェ」という言葉を伝えたのが野口さんである。

「私のチームには、ニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、フィリピンなどいろんな国の社員がいます。オフィスには各国の国旗が掲げられていて、入社した時に社員が多様でAPUに似ていると思いました」

東京都文京区の出身。高校生の時に通っていた早稲田塾の公開授業で冨田勝・慶應義塾大学先端生命科学研究所所長の話を聞いて、がんの研究をしたいと思っていた。合格した私立大学の工学部で経営工学を勉強していたが、友達と話しても面白くなかった。そんな頃、タイに10日間、バックパックの旅をした。初めて一人で行く海外旅行だったが、「世界は面白い」と感じた。大学を受け直そうか、1年浪人したと思えばいい。そう思い、APUに興味を持つようになった。早稲田塾の職員をしていたAPU卒のネパール人(現在は東大博士課程)に会って大学のことを教えてもらい、AO入試と一般入試の両方を受けて、2015年にAPUに入学した。

「新しいゲームが始まる感じでした。坂を上って行くと、RA(レジデント・アシスタント、寮生の世話役の学生)のタイ人の女子学生が部屋に案内してくれました。いろんな国の学生がいて、すごいなと思いました」

野口さん自身も2年次からRAになり、最後はリーダーズと呼ばれるまとめ役を務めた。RAはAPハウスの各フロアに1~2名配置され、新寮生が生活を始めるにあたって必要な支援を行い、交流イベントなどを企画する。

「RAのメンバーが活動しやすくするために、不必要な決まり事をやめるなど改善しました。いま職場でも、社員が生き生きと働けるためのプロジェクトができて、その経験が役立っています」

【文中写真】野口さんRA時代
RAを務めていた3年生の頃の野口さん(右)。左は両親が日本人と米国人、中央はインドネシア人の学生

3年生の夏から1年間、デンマークの大学に留学し、政治科学を学んだ。就活ではIT業界を中心に受け、楽天からも内定をもらった。

「APUでいろんな人に会えて、留学を含め様々な経験ができました。世界で戦っていく土俵がある程度はできたと思います。高校時代の英語は赤点でしたが、話せるようになって成績が上がりました。また、どんな状況でも何とか回していくバイタリティーが身につきました。今のポジションでも、厳しくても何とかなると思えます」

「東京から別府に行くのは、何かの思いがあります。私は中学受験をして入った学校が合わずに別の私立高校に行き、大学受験もうまくいかなかった。そうした悔しさがメチャクチャあって、東京のやつに負けたくないと、それまでくすぶっていたものがAPUに来て爆発しました」

日本人も外国人留学生も、多様な人たちの人生がAPUのキャンパスで交差している。

(第4回に続く)

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