慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか

APU編⑥◆日英2言語による授業が変えた留学事情

2020.09.04

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中村 正史
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APUの4年間がなければ今の自分はない 

シリコンバレーのIT企業で仕事をするには、世界のトップレベルの大学の学位を持っていないと難しい。そこで、全米でトップ5に入る大学院のあるノースウエスタン大学でMBAの、ハーバード大学でMPA(行政学修士)の学位を取り、2015年からGoDaddyの幹部社員になった。

今も日本が大好きで、2週間の休みがあったら母国のインドより日本に行きたいそうだ。

「それだけAPUで経験したことは大事で、貴重な時間でした。あの4年間がなければ、今の私はなかったでしょう。いろいろとぶつかりながら成長しました。それが今も一番仲のいい友達です。ノースウエスタン大学やハーバード大学にいた30歳の私とは違うのです」

スイス・ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)で人権担当をしているモース・カオアガス・フローレスさん(42)は、3期生。ヨーロッパにいる卒業生のまとめ役である。ヨーロッパ校友会の勉強会などを開いており、今年2月には卒業生約30人がジュネーブに集まって国連の見学ツアーを行った。APUにもよく戻ってきて、国際関係論を教えたり、将来、国際機関で働きたい学生のキャリア支援をしたりしている。

フィリピンの北部にある小さな島で育った。フィリピンには170以上の少数民族がいる。当事者として、少数民族の権利や文化を守るために国際機関で働きたいと思っていた。

フィリピン大学に在学中に交換留学で日本に来て、その間に参加したピースボートで「今度、新しい大学ができる」という話を聞いた。それがAPUだった。学生の半数が外国人という大学は世界でもなく、APUなら自分で新しいコミュニティーや制度をつくれそうだと思った。

2002年に入学すると、期待以上だった。教員はNGOなどいろんなところから来ており、学生は多様性があって夢を語り合うのに最良の場所だった。別府市は小さな街だが、自分も小さな島で育ったので、合っていた。

「のちに国連で仕事をする準備として最適の環境でした」

卒業後、ゼミの教員の紹介でコスタリカの大学院に進み、国際法と人権を学んだ。ILO(国際労働機関、本部ジュネーブ)を経て、2015年からOHCHRで仕事をしている。

少数民族の権利や土着の文化を守るために、世界各国を飛び回り、政府に助言する。権利が守られていない国の被害者の証言を取ったりするため、嫌がられることもある。

「いま自分がしていることは仕事とは思っていません。自分が生きていくための証しです。世界にどう貢献できるかが一番重要です」

APUへの思いを聞いた。

「私は奨学金で育ててもらったので、お返しに後輩の育成に関わっています。APUはもっと大きな存在になってほしい。日本の大学が国際化に舵を切るのに影響力を持ってほしい。そのために私たち卒業生が経験や知見を還元していきたいです」

 

【文中写真】フローレスさん
フローレスさんは卒業後も、APUで国際関係の授業やキャリア支援の講演、ワークショップなどを行っている=2018年1月

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