慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか

APU編⑥◆日英2言語による授業が変えた留学事情

2020.09.04

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中村 正史
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南アや南米の留学フェアに参加していたのはAPUだけ 

APUの国際学生は、出身の国・地域が幅広いことが特徴だ。開学以来、これまでに150カ国を超える国・地域から受け入れており、アジアだけでなく、アフリカや中東、中南米など多岐にわたる。開学当時、日本の大学に来る留学生は中国、韓国、台湾からが圧倒的に多かったが、APUは当初から多様性を意識して、この三つ以外の割合を高めようとした。

国際学生の募集を長く担当した村上健・学長室室長は言う。

「私は2003年からアドミッションズ・オフィスで国際学生の募集を担当し、南アフリカやブラジルの留学フェアにも参加しましたが、当時、日本の大学で参加しているのはAPUだけでした。日本の大学はまだ東アジア以外をターゲットにしていなかったのです。他方、韓国はブラジルの留学フェアに10大学がグループで参加していたし、中国は南アフリカのフェアに20大学くらいが来ていました」

もちろん苦労したこともたくさんある。

「願書に書かれたアフリカの高校の住所を調べたら砂漠で実際には学校がなかったとか、高校の成績が9段階で付けられているが、1と9のどっちが上かわからないとか、中国の高校の偽造卒業証書が売買されているケースだとか、いろんなことがありました。国際学生が別府の高速道路を歩いていたこともあります。他大学ではできない、前例のない体験をいっぱいしました」

今では海外では、立命館大学は知らなくても、APUは知られていると言われる。村上室長によれば、当時から中国、韓国、台湾以外の国・地域で知られている日本の大学は東大、早稲田と、積極的なプロモーションをしていたAPUくらいだった。

2000年代に入ってグローバル教育が叫ばれるようになり、さまざまな大学が留学生の獲得に力を入れるようになった。それはAPUの募集にも影響を及ぼしている。

「APUの強みは、主要な国・地域に学生募集のための現地スタッフが常駐する事務所を置いて日常的に高校とのネットワークを構築してきたことと、志願者が受験のために来日しなくてもいいように、郵送による書類選考と現地での面接などで合否を判定し、入学許可を出したことです。これらは先進的な試みでしたが、どちらも今は多くの大学が採り入れています。また以前は現地の高校が歓迎してくれて、体育館に生徒全員を集めて説明会ができましたが、多くの大学が高校訪問をするようになって制約が出はじめました。現地での募集競争が起きています」

APUが先導したグローバル教育の広がりは、留学生の獲得競争をもたらすことになった。

(第7回に続く)

【文中写真】村上さん
南アフリカの留学フェアで教育省の関係者と懇談する村上さん(左)

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