慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか

APU編⑧◆APUが今後やるべきことは社会変革への貢献

2020.09.09

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中村 正史
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この30年の日本の大学に大きなインパクトを与えたのは、「大学改革のモデル」と言われた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)と、学生・教員の半数が外国人という立命館アジア太平洋大学(APU)だろう。奇しくも今年、SFCは30年、APUは20年を迎える。両大学は日本の大学をどう変えたのか、そして現在も開設当初の理念は受け継がれているのか、連載で報告する。
2000年代以降、大学も企業もグローバル化が急速に進み、グローバル教育が求められるようになったが、その先陣を切ったのがAPUである。その後、各大学が国際系の学部を次々に開設し、その動きは今も続いている。その現在とは、そして卒業生たちのその後は――。(写真は、国際学生らに囲まれた李根熙〈イ・クニ〉准教授=前列中央)

「日本の大学は東大かAPUだと思っている」 

「APU愛」が強いのは職員だけではない。新型コロナの影響で学生のアルバイトが減り、生活に困窮していることを知った国際経営学部の李根熙(イ・クニ)准教授は、5月中旬、「私がランチと夕食を2週間おごります」という動画を、ユーチューブ上に作った自身の専用チャンネル「APU glee」に上げた。

知人のレストラン経営者に「学生のために弁当を作ってもらえないか」と頼み、希望する学生が店に弁当を取りに行く形にして、弁当代を負担することにした。弁当一つが500~800円として、1日1万円くらいの出費を想定していたが、1日に学生が150人くらい来て、13万円かかった日もあった。

「私はAPUが好きで、学生のために恩返しできればと思いました」

李根熙准教授は中学生の時から日本語を勉強し、「歴史的にいざこざがあった韓国と日本の架け橋になりたい」とソウルの世宗大学校を卒業後、立教大学大学院に入り、日本で大学教員になることを目指した。2005年と07年に学会がAPUであり、歴史もない小さな大学なのに魅力に引き込まれた。

「学生から伝わってくる熱気がすごかった。外国人が半分いて、日本人学生もひるむことなく、コミュニケーションを取っていました。私はいろんな大学を知っていますが、学生がこうした環境で生き生きとしている大学は日本には他にない。どうしてもこの環境に自分も身を置きたいと思いました」

学会の後の懇親会の席でモンテ・カセム学長(当時)をつかまえて「APUで教員をしたいが、どうすれば雇ってもらえますか」と単刀直入に尋ねた。カセム学長から「日本のことしか理解しない教員は要りません。博士号は海外で取ってほしい」と言われ、翌年、米国のテンプル大学大学院に入り直して経営学博士を取得した。APUの教員公募に応募して、希望がかなったのは2012年のことだ。

「私はおたくみたいにAPU大好き人間です。ずっとAPUにいたいし、他の大学には行きません」

早稲田大学国際教養学部の教員から「来てほしい」と誘われたこともあったが、断った。新しい教員が入って来た時には、「一緒に頑張って、いい大学にしていきましょう」と声をかけている。

「APUはベンチャー企業みたいなもの。これを日本でナンバー1の大企業にしたい。私は日本で大学といえば東大かAPUだと思っています」

担当する販売プロモーションマネジメントの授業は、一方通行の教え方はしない。理論を説明し、「どう思う」「おかしくないか」と問いかけ、学生に考えさせる。課題は毎回出す。

今年の春学期は全面オンライン授業になったため、5月下旬からZoomで行う授業をフェイスブックのライブでも流し、卒業生なども見られるようにした。学生から膨大な質問やコメントが書き込まれるため、その中から選りすぐった質問を取り出して、授業とは別の日の夜に留学生と日本人学生の男女2人に参加してもらって、ライブ授業を行い、配信している。

APUの今後の課題は何か、聞いてみた。

「APUはまだ地方の大学のイメージがあります。学生の学習能力は徐々に上がってきましたが、私が目標としている理想に到達するためには、さらに学習能力を向上させる必要があると思います。教員もどんどん情熱的で優秀な人が集まるようになり、教育の質は確実に上がっています。これから大学を変えていけると思います」

【文中写真】ユーチューブ
「私がおごります」と李根熙(イ・クニ)准教授はユーチューブで学生への弁当提供を知らせた

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