ハイスクールラプソディー

ミュージシャン・グローバーさん 桐蔭学園 短期留学でネクタイを緩めることができた

2020.09.17

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中村 千晶
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ミュージシャン、ラジオパーソナリティー、東大卒タレント――と多彩な顔で活躍中のグローバーさん。明るく朗らかなキャラクターが人気ですが、意外にも少年時代はシャイだったそう。高1のときのアメリカへの短期留学が大きな転機になったようです。

グローバーさん

話を聞いた人

グローバーさん

ミュージシャン

(グローバー)1978年、神奈川県生まれ。桐蔭学園高等学校卒、アメリカのフィリップス・アカデミー・アンドーバーに短期留学。97年に「SKA SKA CLUB」を結成。東京大文学部に進学したが、中退してミュージシャンとして活動をはじめる。33歳で東京大に復学。現役東大生としてクイズ番組「Qさま!!」などで活躍。2014年に卒業し、現在はバンドボーカルほかラジオパーソナリティーやタレントとして活躍中。

「親が喜ぶ」がモチベーションだった

――神奈川県横浜市のご出身ですね。どんな子ども時代でしたか?

僕の父はインド人で、母は日本人です。父は語学に堪能で、日本に留学していたときにやはり語学が好きだった母と留学生の交流会で出会ったようです。結婚当初はインドで暮らし、4歳上の兄はインドで生まれたのですが、その後に母が体調を崩してしまい、日本で暮らすことになりました。僕は日本で生まれたので、両親は「日本の教育を受けたほうがいい」と考えていたようです。家の中で英語を話すこともありましたが、ほとんどは日本語でした。

両親は教育熱心だったと思います。僕は小学校受験をし、桐蔭学園に小・中・高と通いました。成績は悪くなかったのですが、僕は勉強に関してあまり興味がなく「親が喜んでくれる」ことが最大のモチベーションでした。高校進学時のコース選択で理数コースに進んだのも、父が望んだから。インドでは物事を考えるとき理系的に筋道を立てて考えることが良しとされるんです。僕自身は国語が好きだったんですけどね。

ただ両親は常に僕がやりたいと言ったことは、進んでやらせてくれました。小学3年生のときに初めて「やりたい!」と頼んだのがドラム。教室に通わせてもらいました。マンガや美術が大好きで、鳥山明さんに触発されて自分で描いたりしていました。描く才能はイマイチですぐにやめてしまったけど、大学では美術史を勉強しましたし、音楽もずっとやり続けている。自分の好きなことには、割と一直線なのかもしれません。

グローバーさん
写真/小黒冴夏(朝日新聞出版写真部)

――桐蔭学園はどんな高校でしたか?

生徒数が多くて、基本的には規則に厳しい学校でした。小学校から制服にネクタイだったし、僕のころは男子部と女子部に分かれていて、校舎も別だったんです。高3のときだけ一時授業が一緒になるという謎の精神修行があって、女子に免疫がない僕は大変でした(笑)。

ただ僕は女子だけでなく、男子ともそんな感じでした。けっこうシャイなんです。親友が一人いればOKで、クラスの中でも友達と「イェーイ!」とか一切しない。目立ちたくないから、生徒会長とか学級委員とかも絶対にやりたくない。別にいじめられた経験があるとかではないんですけどね。性格なんだと思います。後にバンドをやるのも、ただ単に音楽が好きだったからです。音楽をやっているときって、図書館で好きな画集をめくっているときと似ています。「誰にも邪魔されない自分の居場所」という感じで心地いいんです。

交換留学が転機に

――高1のときに大きな変化があったそうですね。

米・ボストンに交換留学に行ったんです。3カ月くらいでしたが、これが大きな転機になりました。僕は小学校からの習慣でネクタイを締めて行ったんですが、周りはみんな短パンにTシャツ。「な~んだ」とまずはネクタイを緩めることができました。かといって怠ける、というのとは違って「まっすぐに何かをやることと、窮屈な思いをすることは違う」と気づいた、というのかな。

クラスメートと最初にやったゲームが印象的でした。全員で輪になって立って、自分の番になったら後ろを向く。後ろ向きになった人が倒れ込むと、それをみんなで受け止めるんです。けっこう怖いでしょう? 人を信じないとできない。でもこれですごく心が開いたんです。

ルームメートにボブ・マーリーの「バッファロー・ソルジャー」を教えてもらって、夜中じゅう聴きながら「日本に帰ったら、バンドやろう!」と決めたのもこのときでした。もちろん勉強もしたけれど、それよりもあの場所で世界中から来ていた仲間と友達になって過ごした時間が心に残っているし、自分の世界を変えてくれました。

高1で米・ボストンに交換留学したとき(本人提供)
高1で米・ボストンに交換留学したとき(本人提供)

――バンドでの想い出は?

高2のとき文化祭に出るためにオリジナル曲を作ることになったんです。それで八丈島にある友人の別荘に合宿に行った。楽しかったですねえ。地元の女の子と淡い恋があったり(笑)。そんな日々を曲にしたら、初めて友達に褒められたんです。「いい曲じゃん!」って。嬉しかったなあ。それをきっかけにドラム担当から、曲を作って歌うようになったんです。

その後、バンド仲間と二人で駅前のロータリーで歌い始めました。そしたらある日、サラリーマンの人が真剣に聴いてくれて、途中で缶コーヒーを買ってきてくれて「テープとかないの? できたら送ってよ」と、僕の上着のポケットに名刺入れたんです。「うおおお!スカウトか?!」と盛り上がった。後で見たら音楽会社じゃなくて普通の会社だったんですけど(笑)、でもそんなことをされたのは後にも先にもそのときだけ。だから気持ち的には「その人にスカウトされていまに至る!」と思っています。

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