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お笑いジャーナリスト・たかまつななさん フェリス女学院 クラスで普通に政治の話、でも大人が…

2020.10.29

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中村 千晶
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フェリス女学院出身で「お嬢様芸人」として人気のたかまつななさん。お笑いジャーナリストとして「お笑い×社会問題」という新しい試みにも挑戦しています。自身の原点は紛れもなく中高時代だった、と振り返ります。

たかまつななさん

話を聞いた人

たかまつ・ななさん

お笑いジャーナリスト、お嬢様芸人

1993年、横浜市出身。フェリス女学院中学校・高等学校卒。2011年、第14代高校生平和大使に就任し、国連会議でスピーチ。12年、慶応義塾大総合政策学部へ進学。サンミュージックプロダクションに所属し、その後円満退社。15年、慶応大在籍中に東京大大学院情報学環教育部に研究生として入学。16年に慶応大を卒業し、18年に同大大学院政策・メディア研究科修了。同年、NHKにディレクター職で入局。20年に対局。著書に「政治の絵本」「お笑い芸人と学ぶ13歳からの SDGs」。

子ども記者として「伝え方」を学ぶ

――本物のお嬢さまだった、と聞いておりますが、どのような子ども時代でしたか?

父はサラリーマンで母は専業主婦です。父方がずっと慶応義塾大出身の一族で、「慶応に入らなければ人ではない」という教育方針でした。母はそのプレッシャーを受けて、ものすごく教育熱心でした。幼稚園のころから週6日は習い事をしていて、ピアノ、書道、お茶、お花や新体操もやっていました。塾や習い事が忙しくて、友達と遊ぶ時間はあまりなかったですね。小学校のころはサッカー選手になりたくて、中学もその方向に進みたかったのですが、親に猛反対されて断念しました。小6の12月にフェリス女学院に進路を決めて、1日16~18時間、猛勉強して入学しました。

――フェリス女学院はどんな雰囲気でしたか?

入ってすぐに「全員女子じゃん!」ってびっくりしました(笑)。お嬢様っぽい、というよりも自分の意見をはっきりと言う、気の強い女子が多かったですね。小さいころの私は人見知りで、引っ込み思案でしたが、中・高でものすごく変わったと思います。女子校っぽいとされるネチネチした人間関係などが皆無で「人のよさを認めて、自分を高めよう」という気概のある人がたくさんいました。同級生は医師や官僚になってバリバリ働いている子が多いです。「女性初の」というポストについている先輩も多く、そういうマインドの学校なのだと思います。

たかまつななさん
写真/高野楓菜(朝日新聞出版写真部)

――中高時代の思い出は?

中1から読売新聞の子ども記者を6年間やらせてもらったんです。新聞広告を見て応募し、100人ぐらいの子ども記者がいました。毎週土曜日の夕刊に1ページの紙面があるのですが、掲載されるのは2つの記事なので、企画を通すのが大変でした。インタビューや取材記事など6年間で70本ぐらい記事を書きました。

――なぜ、子ども記者に応募したのですか?

小4のとき、アルピニストの野口健さんの環境学校に参加しました。富士山のふもとで1週間、ゴミ拾いをする。最初は「こんなきれいな山にゴミなんてあるわけがない」と思ったのですが、行ったらすごかった。ナンバープレートをはずされたバスやトラックが不法投棄され、医療器具や注射器が散乱している。本当にびっくりしたんです。野口さんに「大人はこういう問題を見て見ぬふりをする。だから君たち子どもが、これを伝えてほしい」と言われて、「伝えなければ」という思いが芽生えました。でも人見知りだったので、学校での発表のときマイクに声が届かなかった。これじゃダメだ、と思って子ども記者に応募したんです。さまざまな取材をしながら伝え方を学びました。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんにお会いしたり、オウム真理教について描いた野田秀樹さんの舞台に衝撃を受けたりしたことも覚えています。貴重な体験をたくさんしました。

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