ハイスクールラプソディー
芸人・絵本作家の西野亮廣さん 兵庫県立川西緑台高校 運動場にこっそり立てたツリー
2020.12.10

漫才コンビ・キングコングの西野亮廣さん。さまざまなジャンルに挑戦し続ける西野さんが描いた絵本「えんとつ町のプペル」が映画となってスクリーンに登場します。そんな西野さんは、どんな子ども時代だったのでしょうか。
にしの・あきひろ/1980年、兵庫県生まれ。兵庫県立川西緑台高等学校卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)へ。漫才コンビ・キングコングとしての活動を経て、現在は既成の発想、手法にとらわれない斬新なビジネス、表現活動を展開中。オンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」の会員数は7万人を超え、国内最大規模を誇る。「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」「えんとつ町のプペル」(いずれも幻冬舎)など著書多数。
ご両親はどんな方ですか?
「えんとつ町のプペル」の中のルビッチの両親ほどに激しくはないんですが、基本的に役割は同じで、父ちゃんは「行け行け!」と言うんだけれども、母ちゃんはもうちょっと現実を見ていてブレーキを踏むというタイプ。
たとえば僕が芸人をやると言ったときにも、僕は子どものころからそう言っていたので、親に衝撃はあまりなかったようですが、父ちゃんは基本的に「まあいいんじゃないの」というノリなんですけれど、母ちゃんは「高校だけでも出て」みたいな感じでした。

子どものころから芸人になりたかったんですね。
僕は小学2年ぐらいからお笑い芸人になりたかったんですよ。夜に見たテレビ番組を翌日、学校の教室で、見てない子に「こんなのやってたんだよ」とまねてみたらすごくウケました。そして、好きだった子に話しかけられたんですよ。当時は好きな子になんて話しかけられなかったのに、「そっか、面白いことをすれば向こうからきてくれるんだ、むちゃくちゃいいじゃん」って。好きな子に声をかけるよりも面白いことをすることのほうが自分のなかではハードルが低かったものですから、絶対そっちだって。
寄り道をせずにお笑い芸人になりたくて、中学を出たら吉本に行きたいと思っていました。母ちゃんも高校さえ出てくれたらもうそこから先はいいと言ってくれたんで、中2の後半から勉強をめちゃくちゃ頑張って、高校に行ってからはずっとお笑いです。高校時代は部活が終わったらみんなで集まって、漫才してコントして、みたいな毎日でした。