早生まれに負けない子育て

元サッカー日本代表・内田篤人さん「早生まれでなかったらプロ選手になれなかった」

2021.01.15

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山下 知子
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サッカー元日本代表で3月生まれの内田篤人さんは、日本サッカー協会が早生まれを対象に実施した選考会で見い出され、プロ選手の座を勝ち取りました。内田さんは「早生まれを気にせず、スキルを身につけて」と子どもたちにエールを送ります。(写真は、ガンバ大阪戦で右サイドを攻める鹿島アントラーズの内田篤人選手(当時)=2020年8月23日、カシマスタジアム、伊藤進之介撮影)

内田篤人さん

話を聞いた人

内田篤人さん

サッカー元日本代表

うちだ・あつと/1988年3月27日、静岡県生まれ。サッカー元日本代表。県立清水東高校を経て2006年、鹿島アントラーズへ。20年8月に現役引退。2女の父。

日本サッカー協会の早生まれセレクションが契機に

早生まれでなかったら、プロサッカー選手にはなれなかったと思います。今ごろは学校の先生をしていたんじゃないかな。

転機は、静岡県立清水東高校1年生の時でした。日本サッカー協会が企画した、早生まれの高校1年生が対象の「U16(16歳以下)」日本代表候補の選考会に参加したんです。同学年のなかで埋もれがちな早生まれに焦点を当て、原石を探そうという試みです。これで、それまでハンデだと思っていた早生まれがチャンスになりました。

海外の選手はよく、「サッカー選手になりたい」ではなく、「サッカー選手に選ばれたい」と言うんです。能力を持っているだけでなく、誰かに見つけられ選ばれないとプロにはなれない。そうした意味では、僕は早生まれだったから、選ばれた。あの年に早生まれ選考があったのは、本当にラッキーでした。

といっても、それは振り返って感じることで、当時の僕は監督に「行ってこい」と言われ、「はい、分かりました」という感じで出かけただけでした。そこで足の速さなどを評価され、日本代表の候補に選ばれました。それまで日本代表どころか、県代表にすら選ばれたことがないのに。その後、いくつかのプロチームからオファーが来るようになり、高校卒業時に鹿島アントラーズへの「就職」を決めました。清水東は進学校だったので、「就職」は自分だけ。センター試験を受けなかったのも僕一人だけでしたね。

僕が生まれる時、父は母に「(産むのは)4月まで待て」と言っていた、と笑い話でよく聞きました。父は中学校の体育教師だったので、特にスポーツをする上で早生まれがハンデになると知っていたのでしょう。僕に向かって何か言うことはありませんでしたが、両親は両親で気にしていたのかもしれません。

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