ハイスクールラプソディー

「元女子高生、パパになる」の杉山文野さん 日本女子大付属 友人の一言で自分がこの世に生まれ出た

2021.03.04

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中村 千晶
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男性の心と女性の体を持って生まれたトランスジェンダーの杉山文野さん。自身の歩みを自伝エッセーに綴り、多くの人に勇気や共感を与えています。2児のパパとなったいま、セーラー服とルーズソックスで過ごした高校時代をどのように捉えているのでしょうか。

杉山文野

話を聞いた人

杉山文野さん

東京レインボープライド共同代表理事

すぎやま・ふみの/1981年、東京都生まれ。元フェンシング女子日本代表。早稲田大大学院修了。渋谷区の同性パートナーシップ条例制定にも関わる。現在は飲食店を経営するほか、LGBTQ の情報発信活動などを行う NPO 法人東京レインボープライドの共同代表理事を務め、多様性に関する講演や企業研修も行う。2018年、親友から精子提供を受け、パートナーの女性との間に第1子をもうける。20年に第2子が誕生。父として子育てにも奮闘中。20年に「元女子高生、パパになる」を上梓。

どんな子ども時代を過ごしましたか?

自分の体に対する強い違和感は、幼稚園のころからありました。気持ちは男の子なのに体は女の子、という違和感です。中学・高校の時期は一番しんどかったですね。体は女性として成長していく一方で、どんどん男性としての自我が強くなっていく。ずっと女体の着ぐるみを着ているような感覚でした。本当はセーラー服も着たくなかったけれど、一人だけ違う格好をして「変な人」と言われるのも怖かった。LGBTQの一番の課題はお手本=ロールモデルがいないことなんです。自分が女性として年を重ねていく未来がまったく想像できなかったので「自分は大人になれないんじゃないか」「死ぬなら早く死にたい」とばかり考えていました。でもまったく暗い毎日だったかというとそうでもなく、小5からフェンシングを習い、周囲には明るく元気なボーイッシュな子と映っていたと思います。ただ、友達と楽しく話していても、本当のことを言えず、嘘をつかなければいけなくて、苦しみは常にありました。

友人の一言で自分がこの世に生まれ出た
写真/掛祥葉子(朝日新聞出版写真部)

学校は幼稚園から高校まで、日本女子大付属ですね。

両親が「文野にはあまり勉強ばかりの環境は向かなそう」と選んだようです。いまとなっては「女子校でよかった」と思うことはたくさんあります。まず女子校ではすべての役割を女子がするので「重い物は男子が持つ」などの性差による分業が起こらない。そのことは楽だった気がします。高校では3年間、運動会の実行委員をやり、3年生で実行委員長になりました。いろいろな意見を聞き、それをまとめて何かひとつのことを達成するのが好きなのだと思います。

高校時代の杉山さん(右から3番目、本人提供)
高校時代の杉山さん(右から3番目、本人提供)

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