一色清の「このニュースって何?」

イラン大統領に保守強硬派 → なぜアメリカとは仲が悪く、日本とはいいのか、歴史を振り返ろう

2021.06.25

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一色 清
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日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんが毎週、保護者にヒントを教えます。(写真は、イラン大統領選で初当選後、初めての記者会見を終えたライシ司法長官=2021年6月21日、テヘラン、飯島健太撮影)

イラン革命と大使館人質事件

中東の国イランで6月18日、大統領選挙があり、イスラム法学者で保守強硬派のエブラヒム・ライシ司法長官(60)が当選しました。2期8年続いたロハニ大統領は保守穏健派でしたが、8月初めには強硬派のライシ大統領が就任することになり、仲の悪いアメリカとの対立がいっそう深まるのではないかと心配されています。

イランとアメリカはなぜ仲が悪いのでしょうか。一方、多くの外交関係でアメリカと同一歩調をとる日本ですが、イランとは仲がいいのです。これはどうしてでしょうか。いずれも近現代の歴史に源流があります。

まず、アメリカとイランの関係からみましょう。1977年までアメリカとイランはとても親密な関係にありました。そのころイランは王制の国で、パーレビ国王が権力を握っていました。アメリカは当時にらみあっていたソ連(今のロシアなど)をけん制する拠点としてイランを大切にしていました。パーレビ国王はアメリカの援助を受け、国の西洋化を進めました。一方で、イスラム教の勢力を弾圧しました。西洋化により貧富の格差が広がってきたところに、国民の多くを占めるイスラム教徒の不満が高まり、78~79年に革命が起こりました。イラン革命です。パーレビ国王は国外に脱出し、弾圧を避けてパリに亡命していたイスラム法学者のホメイニ師が帰国して、厳格なイスラム教をもとにした反米のイランが誕生しました。

アメリカとの仲が決定的に悪くなったのは、その流れの中で起こったアメリカ大使館人質事件です。パーレビ元国王をアメリカが受け入れることを知ったイランの学生たちが79年11月、首都テヘランにあるアメリカ大使館になだれ込みました。そしてアメリカ大使館員とその家族52人を人質にして立てこもったのです。アメリカは人質解放の交渉をイラン政府としましたが、なかなかうまくいきませんでした。軍事力による救出作戦も失敗しました。パーレビ元国王が死亡するなど局面が変わって、ようやく人質解放にこぎつけましたが、それは事件発生から444日後でした。

アメリカはその後、イランを敵視し続け、イランは核兵器の開発に乗り出しました。オバマ大統領時代の2015年、イランが核開発を制限する見返りに欧米など6カ国がイランへの経済制裁をゆるめるという核合意を結び、関係が少し改善したかに見えました。しかし、次のトランプ大統領が合意から抜けることを決め、再び険悪になりました。バイデン大統領は合意に戻る用意があるとしていますが、ライシ師は強硬派なので、行方は不透明になっています。

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