「地方」で学ぶ

「大きな社会構造、考えさせられた」 横浜→津和野高→東大、鈴木元太さん

2021.10.18

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山下 知子
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都道府県の枠を超え、2010年度から「しまね留学」の名で県外生を広く受け入れている島根県。その一つ、島根県立津和野高校に横浜から入学し、推薦入試で東大へ進んだ鈴木元太さんは「自身の原体験になった」と3年間を振り返ります。なぜ津和野で学ぼうと思ったのか、そこで学んだことを今どう意義づけているのか。鈴木さんに話を聞きました。(写真は、津和野高校の部活動「グローカルラボ」の活動の一環で、竹林で竹を切り出す鈴木さん=2017年、鈴木さん提供)

鈴木元太さん

話を聞いた人

鈴木元太さん

東京大学工学部3年

(すずき・げんた) 北海道生まれ。中学1年まで北海道で育ち、横浜へ転居。横浜国立大教育学部付属横浜中から横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校へ。1年冬に退学し、島根県立津和野高校へ再入学。2019年、東京大理科Ⅰ類へ進学し、現在は工学部都市工学科で学ぶ。昨秋から津和野高でインターン。

勉強の先にあるものが見えない 横浜から津和野高へ

――横浜の中学校に通っていました。高校時代を津和野で過ごそうと思った理由は何でしょうか?東日本大震災の被災地でのボランティア経験も進路に影響したのでしょうか?

津和野高で学ぶことになった理由は大きく二つあります。

中学時代、高校受験を目指して塾にも通い、がむしゃらに勉強しました。ぼんやりと食糧問題や農学系に関心があって、研究設備が整った高校を選びました。それが、高校に入ると、勉強しようというモチベーションが全くなくなってしまいました。結局、大学受験のための勉強ではないかと感じてしまったこと、その一方で大学受験をして大学に通って……というその後が全くイメージできなかったからです。

1年生の夏休み後に本格的に学校を休むようになりました。いろいろと調べて国内の寮のある公立高校への再入学を決めました。調べる中で、島根県が多く県外生を受け入れていると知りました。入試まで時間がなく、実際に現地へ行けたのが津和野でした。歴史の中に街があるのが新鮮で、この中で暮らしてみたらどうなるんだろうとワクワクしました。学校内に様々な活動があり、地域おこし協力隊の隊員など、20、30代の大人と一緒にできることも魅力的でした。

二つ目の理由が、東日本大震災の被災地での経験です。

不登校の間にボランティアに参加しました。震災当時、僕は小学5年で北海道に住み、震災のリアリティーがありませんでした。横浜に転居して、同級生から当時の揺れた時の話を聞き、「本当にあったんだ」と。自分の目で見たいと思ったんです。

初めて被災地へ行った時、いかに自分が何も知らなかったかを知りました。どう自分が振る舞うべきか、発する言葉の一つひとつに悩みました。このことをもっと考えたくて、半年ほどの間に5、6回、現地に通いました。その中で印象的だったのは、同世代が自分たちの街のために活動している姿です。カフェをしたり、街を舞台にファッションショーをしたり。ここで「自分は街のために何ができるのか」という視点を得ました。

実際に行かないとわかり得ないことがある、地域や社会にリアルに関わるような学びがしてみたい――。津和野高を選ぶにあたり、被災地での経験は当然、根底にありました。

親は何も言わずに送り出してくれました。「元気に高校生活を送れるなら」と思っていたと思います。

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津和野の街並み

――3年間、津和野高校で学び、今感じることは何でしょうか?

寮には、東京から来た子もいれば遠方からの県内生もいて、多様性に富んでいました。さらに一人ひとり、津和野高に来ている理由が違います。勉強の程度も進路も多様。大学に進学する子もいれば、就職する子もいました。それまでの価値観を揺さぶられましたね。お互いに話をすることが欠かせず、コミュニケーションの量はすごく多かったと思います。寝るまで皆で話し合ったり、遊んだりした生活は毎日が合宿のようでとても充実していました。

その後に東大に入ってみると、首都圏の私立中高一貫校出身者が多くて、もう一度、価値観を揺さぶられました。特に東大1、2年生の頃はすごく葛藤がありました。高校時代はあまり見えなかった社会の分断、格差を感じました。津和野という中山間地で3年過ごすなかで得たことは何か、その僕が東大にいる意味とは何か、と深く考えました。

今、自分がそれまで育ってきた社会と違う社会の中に入った経験がある、ということはすごく価値があることだと捉えています。ある教育心理学の本に、「積極的関与」と「危機経験」の二つがあると自己志向性があり、柔軟で安定した性質を持つ、とありました。僕は、この「危機経験」にいかに遭遇できるかが大事だと思っています。僕自身、都市と地方を行き来することが「危機経験」となり、葛藤を抱えながらも考える過程が自分の発達につながったのだと感じます。

また、原体験として異なる社会を一人の人間が持ち合わせていることに僕は希望を感じています。そうした経験を持つ人が増えれば、世の中の分断を乗り越え、真に多様性ある社会をつくり出す力になると考えるからです。

文中写真② FB_IMG_1504350794376
津和野高校の文化祭で制作した竹の入場門=2017年、鈴木さん提供

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