一色清の「このニュースって何?」

中国で「歴史決議」 → 毛沢東と鄧小平について知っておこう

2021.11.12

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一色 清
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日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんが毎週、保護者にヒントを教えます。(写真は、訪中した当時の安倍晋三首相〈左〉と握手を交わす習近平国家主席=2019年12月23日、北京の人民大会堂、岩下毅撮影)

1945年と81年の2回だけ

中国を治めている中国共産党の重要会議、第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で「党の100年奮闘の重大な成果と歴史的経験に関する決議」が採択されました。これは党の歴史を総括する「歴史決議」とよばれるもので、重い意味を持っています。これまで毛沢東時代の1945年と鄧小平時代の81年の2度しか採択されていません。習近平国家主席が自分を毛沢東、鄧小平と並ぶ権威のあるリーダーにしようとしているとみられています。

中国は今やアメリカと世界の覇権を争う大国になりました。日本とは海を隔てた隣国で、最大の貿易相手国です。一方で、尖閣諸島の領有権など日本との対立点をいくつも抱えている国でもあります。これからの時代、中国の存在感はますます大きくなると思われ、中国とはどんな国なのか、を理解しておく必要があります。そのためには、今の中国を形づくった毛沢東と鄧小平について知っておきたいと思います。

まず、毛沢東です。中国共産党は誕生してから2021年で100年になります。毛沢東は結党に参加した一人でした。そのころ中国は、長く治めていた清が滅んだあとで、国民党も結党されていました。共産党と国民党は主導権をめぐって内戦になりましたが、1937年に日本との戦争が始まると手を結びました。国共合作です。45年に日本の敗戦が決まると、再び内戦となり、劣勢となった国民党は台湾に逃れて国民党政府をつくりました。49年10月1日、大陸側を支配した共産党トップの毛沢東が北京の天安門の壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言しました。そして、新しい国の最高指導者の地位に就きました。こうした経緯から毛沢東は中国で「建国の父」と呼ばれます。

毛沢東は中国の社会主義化を進めました。土地や設備を国が所有して、国がたてた計画通りに農業や工業の生産を行うやり方です。ただ、当初は国の生産計画が無謀だったため、生産したものの質が悪かったり水増しした生産報告が行われたりして、うまくいかない面も目立ちました。そうしたことから毛沢東は一時的に力を落としましたが、再び力を強めることになった出来事がありました。文化大革命です。

65年ごろから当時の党への反発(造反)が大学生などの間で起こり始めました。毛沢東は造反には理由があるという意味の「造反有理」という言葉を掲げて、若者の動きを後押ししました。毛沢東への個人崇拝が進み、お墨つきを得た造反は「プロレタリア文化大革命(文化大革命)」という大きな運動になりました。それまで支配層だった人たちは紅衛兵と呼ばれる学生運動グループにつるし上げられ、失脚したり農村に行かされたりしました。そうした迫害により、たくさんの死者が出たともいわれています。政治的にも毛沢東のライバルだった人たちが次々に失脚し、毛沢東の力は絶大になりました。文化大革命は76年に毛沢東が死去するまで続きました。

文化大革命中の70年代には中国が国際社会で認められる動きが続きました。71年には国際連合に中国が加盟することが認められました。72年にはアメリカのニクソン大統領が中国を訪問し、79年の国交正常化につなげました。日本も72年に田中角栄首相が中国を訪問し、国交の正常化が決まりました。ニクソン大統領も田中首相も毛沢東と会談しました。国内では文化大革命を進めながら、世界各国とは友好関係を築いたわけです。

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