海外の教育事情
インドはなぜIT人材を輩出できるのか? 日本との教育事情の違い、参考にしたい視点とは
2022.02.16

2019年に経済産業省が出した調査によると、2030年には国内のIT(デジタル)人材が最大79万人不足すると推測。現在、日本では国をあげてIT人材の育成に取り組んでいます。一方、Google、Microsoft、IBM、Adobeなど名だたる企業のCEOはインド出身と、IT企業でのインド系人材の活躍が目立ちます。また、インド国内ではEdTech大手Byju’s(バイジューズ)が企業評価額108億ドルに達するなど、教育産業も盛んになってきています。なぜインドでは優秀なIT人材を多く輩出でき、EdTechに注目が集まるのか。その裏側にある地理的要因や風土、教育制度などを専門家に聞き、日本の教育に生かせる部分を探りました。
(すずき・たかし)1994年にJETRO入会。その後、アジア、アフリカを中心とした開発途上国との貿易投資業務に従事。これまでにナイジェリア、ベルギー、バングラデシュでの駐在を経験。2018年7月より現職。
教育格差の是正と収益化がカギ?高まるEdTechへの期待
――IT人材を数多く輩出しているインド。最近では、EdTechに注目が集まっているそうですが、その教育事情について教えていただけますでしょうか。
2020年、インド国内のユニコーン企業(※1)は38社(うち、2020年に誕生したものは12社)。2021年には、およそ倍の68社がユニコーン企業になりました。こうしたユニコーン企業の中にはEdTech企業がいくつか入っており、中でもByju’s(バイジューズ)はユニコーン企業を超えるデカコーン企業に成長するなど、大きな躍進を見せています。
※1 評価額10億ドル以上、設立10年以内の非上場企業。デカコーンの評価額はその10倍に当たる100億ドル以上。
しかも、EdTech市場への投資はまだまだ加速しています。EdTech関連のスタートアップは、2020年上期のVC(ベンチャーキャピタル)投資のうち17.2%を占めるまでに。コロナ禍において、EdTech市場は注目株なのです。

EdTech市場が伸びている大きな要因は、やはり人口です。インドの児童・生徒(6〜18歳)数は日本の約15.6倍に及びますから、教育が大きな市場となります。
そしてもうひとつが、「意外とインターネットがつながる」事実です。いまだ収入による教育格差が大きいインドですが、ネット環境に関して言えば、農村部でも意外とつながることが少なくありません。
もちろん、速度は都心部には及びませんが、「農村部の子どもでも、スマホにならアクセスできる」状況がEdTechへの期待、ひいては、教育格差縮小への期待につながっているのではないかと考えています。
――教育市場に期待が寄せられ、経済活動が活発になるのは、好ましい動きですね。
このような格差収縮につながることの期待は高まりますが、現時点でのEdTech市場のメインターゲットは富裕層という問題もあります。教育産業は総じて収益性が低く、ボリューム層(貧困〜中流層)をターゲットにしたビジネスモデルでは、事業継続が難しい一面があります。なんとか教育格差を縮めようと努力している新興企業もありますが、市場自体の収益性が高くないと、ユニコーン企業に成長するまでには至りづらいのです。

インドの富裕層は、日本の“教育ママ・パパ”とは比較にならないほど過保護で、湯水のように教育費を使います。とくに、名門であるIIT(Indian Institutes of Technology、インド工科大学)に進学させようとする家庭の保護者は必死です。インドでは、たとえ自分の食べるものがなくなっても子どもに投資するとする保護者のことを皮肉な言い方として、「IITペアレンツ」と呼ばれる言葉もあります。
人口、言語、地理の3条件がそろい、インドはIT大国へ
――そもそもなぜインドでは、優秀なIT人材を多く輩出できているのでしょうか?
考えられる理由は3つあります。1つは、シンプルに人口が多いため。2019年時点でインドの人口は約14億人と、日本の約10倍以上にも及びます。たくさんの人がいれば、優秀な人材も比例して増えるという簡単な原理となります。
2つ目は英語の扱いに長けているため。インドは多民族国家で、「100km歩けば別の国」と言われるほど、多様な言語・文化が存在しています。そのため、インド国内であっても、少し離れた土地の人びととは言葉が通じないのは一般的なことです。
そこで用いられてきたのが、グローバル社会において重要な言語である英語です。19世紀にイギリスの植民地化によって押し広げられてきた英語ですが、皮肉なことにインドの人々にとって「共通語」として使うのに都合が良かったのです。結果、1947年の独立後も「準公用語」として使われ続けています。
そして、英語は3つ目の理由である「オフショア開発(※2)」にもつながります。1980年代後半から、インドはアメリカのIT企業のオフショア開発先に選ばれるようになりました。インドは「数学に強い」イメージがあるように、もともと理工系を重んじてきた国。その上、アメリカとインドの時差は約12時間(※3)と「24時間体制」が作れ、英語でコミュニケーションもできるため、ビジネスの効率面からも好ましいものでした。
※2 ソフトウェアやWEBシステムなどの開発業務を、海外の企業や子会社に委託・発注すること
※3 インドの中央部にあたる東経80度と、アメリカのテキサス州(先端技術の集積地)がある西経100度の時差
――なるほど。最近では、オフショア開発だけでなく、インド企業の世界進出やインド出身人材の登用も目立ちますよね。
はい。オフショア開発を起点にIT業界に参入したインドですが、時間が経つにつれ国内のIT企業も育ち始めます。ITで財を成す「IT長者」も現れ、エンジニアが花形職業というイメージが強まりました。すると親も子どもに「将来はエンジニアになりなさい」と言うようになり、その中から優秀な人材が育っていった、という流れがあると思われます。
議論をまとめますと、インドがITに強くなった基盤には、人口、言語、そして時差と、どれも日本とはまったく違った要素が影響しています。それを考えますと、「インドのやり方を真似すれば、日本でも優秀なIT人材が育つ」と安易に言うことはできないのではないかと思います。
――俗説かもしれませんが、「エンジニアはカースト制度にない新しい職業なので、一発逆転を目指せることから人気が高い」と聞きます。これは本当でしょうか?
半分は本当、半分は誤り、という印象です。確かにエンジニアは新しい職業で、カースト制度の外にあります。そのため、どのような社会階級であっても、親から文句を言われずに目指せる職業であることは事実です。ただ、そもそも現在のカースト制度は昔ほど厳しくなく、生まれによって自動的に職業がきまるケースも減ってきています。
一方で、「一発逆転」はやはり極端なイメージかと思います。というのも、日本と同じく、インドでも収入による教育格差が大きいため。富裕層が最先端の教育を子どもに受けさせる一方で、貧困層(農村部)には「学校になんて行っていないで、家のために働いてくれ」と言われる子どもも多数いる。こうした子どもは「ITで一発逆転」は難しいため、俗説の色が強いと言わざるを得ないのです。