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フリーアナウンサー・川田裕美さん 大阪府立三国丘高校 勉強から逃げた私を先生も親も見守ってくれた

2022.01.13

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橋爪 玲子
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小中学生時代は優等生だったというフリーアナウンサーの川田裕美さん。ところが、高校時代に挫折を味わったそうです。いったい何があったのでしょうか。

川田裕美

話を聞いた人

川田裕美さん

フリーアナウンサー

かわた・ひろみ/ 1983年、大阪府出身。大阪府立三国丘高、和歌山大経済学部卒。2006年、アナウンサーとして読売テレビに入社。「情報ライブ ミヤネ屋」「マヨブラジオ」など幅広いジャンルの番組に出演。15 年3 月に退社し、フリーアナウンサーに転身、東京を拠点に活動をスタート。最新刊に初めてのビジネス書「ゆるめる準備 場にいい流れをつくる45 のヒント」(朝日新聞出版)がある。

どんな子どもだったのですか。

子どものころから自分が知らないことを聞いたり、調べたりすることが好きでした。知りたいと思ったら、親や先生に教えてもらうまでくっついて歩いていました。そして、新しく知った知識を自分の中でかみ砕いて人に伝えるのも大好きで、相手に「おもしろいね」「わかりやすいね」と言われると、うれしくてたまりませんでした。

私の母は、「将来のために努力を積み重ねなさい」という考えをもっていました。母自身が勉強で困ったことがあったので、そういう思いを子どもにさせたくなかったそうです。家で復習をちゃんとして、学校の宿題は期限より前に仕上げるなど、母の言うとおりに真面目に勉強していました。母も一緒に勉強してくれて、母にほめられたくて頑張っていたら成績もぐんぐん伸びていくので、勉強することが中学生までは楽しかったです。

高校生活は中学校までとは違ったそうですね。

公立の高校に入りました。進学校といわれている高校で、入学後、最初に出された宿題の1問目からわからないことに混乱しました。ここでは、私はかなり努力しないとみんなに追いつけないし、それには相当な忍耐力と集中力が必要になるけれど続けられないだろう、と早々と勉強することから逃げ出してしまいました。当然、成績は転げ落ちるように下がり、成績の悪い人たちが集められる補習授業の常連となりました。学校に行って友達と過ごすのは楽しいけれど、勉強は本当につらかったです。

そんな私が夢中になっていたのがアルバイトです。私が通っていた高校は部活動が盛んで9割以上が部活に入ります。でも私は高校生になる前から、自分でお金を稼ぐ大変さってなんだろうと、働くことへの関心がずっとありました。高校生になり、私は部活ではなく、すぐにいろいろなアルバイトを始めました。コンビニエンスストアやファストフード店、学習塾、家庭教師など常に三つくらい掛け持ちしました。コンビニではただ商品を売っているだけではなく、売るためのさまざまな工夫や接客などで、売り上げが変わることに、刺激とおもしろさを感じました。また発注する商品個数を間違えるミスをしたときは、店長にすごく叱られましたが、お金を稼ぐことにはひとつひとつに責任が生まれていて、そういう中でみんなが働いているのを実感しました。

高校時代の川田さん(本人提供)
高校時代の川田さん(本人提供)

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