学習と健康・成長

「ユーモアは人間総合力」そのセンスを養う学びとは 海城・柴田校長、商社マン時代実感したユーモアの力

2022.04.21

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阿部 花恵
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多様なバックグラウンドを持つ人々とのコミュニケーションにおいて、しばしば「ユーモア」の重要性を耳にします。では、実際にユーモアとはどのようなもので、身に着けておくと社会に出たときにどんな効用があるのでしょうか。海城中学高等学校で「国際社会においてユーモアを持つことの重要性」について積極的に語る柴田澄雄校長先生に、三菱商事に勤めていたころの経験も踏まえてお話いただきました。(写真は卒論に向けてディスカッションする中3=海城中学高等学校提供)

Sumio_Shibata

話を聞いた人

柴田 澄雄さん

海城中学高等学校 校長

(しばた・すみお)1973年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。三菱商事に入社し、韓国・サウジアラビア・タイの駐在経験を経て、2007年より三菱商事インシュアランス取締役に就任。2012年~2015年まで国際教養大学特任教授、同年4月より第13代海城中学高等学校校長を務める。

日本人は圧倒的に「ユーモア」が足りない

――柴田校長は豊富な海外駐在経験を通じて、「ユーモアの重要性」を実感したそうですが、どんなきっかけがあったのでしょう。

私は総合商社である三菱商事の社員として韓国に7年、サウジアラビアに3年、タイに5年と、通算15年間の海外駐在を経験してきました。そして、どの国でも痛感したのが「日本人にはユーモアのセンスが圧倒的に足りていない」という事実です。会議やプレゼンのコミュニケーションでも、日本人は真面目一辺倒。単刀直入に本題に入ってしまうため、相手の心を和ませようと工夫をしない人が多数派です。

対して、欧米人は気の利いたジョークがとても上手です。ウィットに富んだちょっとした一言で場の緊張を解き、笑顔を引き出してリラックスさせる術が身についています。島国の日本と違って、常に多様な文化が往来する環境で生まれ育ち、人間関係を滑らかにするためのテクニックとしてユーモアの力を十二分に理解しているのでしょう。

とくにサウジアラビアでの駐在中は、その差が如実に出る場面が多々ありました。同国でビジネスを展開していく中で、しばしば欧米の商社と競合関係になるのですが、欧米のビジネスパーソンの振る舞い、そしてユーモアのセンスにはやはり学ぶところが多かったですね。文化も背景もまったく異なる相手と信頼関係を作り上げていくためには、ビジネスライクなギスギスしたやり取りばかりでは駄目で、場を和ませるユーモアの力が大きく作用することをそのとき痛感しました。

――とはいえ、仕事の場において、ちょっとくだけたユーモアのセンスを発揮するのはそう簡単ではない気もします。

ユーモアのセンスといっても難しく考える必要はありません。言葉遊び、ダジャレ、何でもいいんです。コミュニケーションをスムーズにするきっかけになるものを、自分なりに考え、勇気を出して試してみる。その姿勢が伝わるだけでも、相手の心は動きますから。

「ランチはカレーを」の一言で空気が変わった経験

――柴田校長がこれまでに「ユーモアのおかげで場が和んだ」と実感できた場面はありますか?

そうですね。イギリスでの商談で、先方がなかなか本音を出さず、難航したときがありました。膠着(こうちゃく)状態のままもうすぐお昼になる、というときに、私からこんな風に声をかけたんです。

“Shall we have curry for lunch ?  Then, we can have a hot discussion this afternoon.”
(ランチにカレーでも食べませんか。その後で午後はホットなディスカッションをしましょう)

カレーはホット(辛い)ですよね。hot discussionは活発な議論という意味です。ホットなカレーで気分を変えて、午後はホットに本音で話し合いましょう、という意味のジョークです。

この一言がきっかけで空気がふっと和らいで、相手との距離が一気に縮まった記憶があります。先方にしてみれば、「母国語ではない英語を使ったジョークで、こちらの気持ちを和ませてくれたんだな」と感じるところがあったのかもしれません。

そういう意味では、ネイティブスピーカーレベルを目指して英語力を磨くよりも、ユーモアや雑談のセンスを身につけるほうが実社会ではずっと役立つと思います。

ユーモアはいわば人間総合力、リベラルアーツの一要素といってもいいでしょう。ちょっとしたユーモアを交えてコミュニケーションができるようになると、心に余裕も生まれます。すると生活や人間関係の質もレベルアップしてさらに楽しくなります。

――ユーモア=笑いのセンスではなく、教養の一種なのですね。

そうです。ただし、誤解してほしくないのですが、人を傷つけて取る笑いはユーモアではないということです。対話におけるユーモアとは、お互いがリラックスできて笑顔が生まれるような、創造的な言葉や交流だと私は考えています。

例えば、サウジアラビア駐在中に暮らしていたコンパウンド(外国人居住区)で、ドイツ人の友人ができて一緒に食事をしたことがありました。そこでたまたま文学の話になり、お互いがドストエフスキー好きだとわかって大いに盛り上がったのです。サウジアラビアで、ドイツ人と日本人が、ロシア文学について語り合う。その光景にも、なんだかある種のユーモアが感じられませんか? 枝葉末節ではなく、「笑い」や「ユーモア」はもっと大きな文脈で捉えられるものだと思っています。

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