「大学付属校」の現在地

慶應義塾・山内慶太常任理事「『慶應ブランド』に乗っかっているようではいけない」

2022.04.27

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中村 正史
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これからの大学入試のあり方を各大学で探っていると、近年、大学付属校からの内部進学者の評価が高まっているという話をあちこちで聞きます。なぜでしょうか。慶應義塾には小学校2校、中学校3校、高校5校(ニューヨーク学院を含む)の一貫教育校があり、早くから一貫教育に力を入れてきました。山内慶太常任理事に、慶應義塾における一貫教育の重要性と現状を聞きました。(写真は、慶應義塾大の旧図書館=東京都港区三田)

山内慶太さん

話を聞いた人

山内慶太さん

慶應義塾常任理事、慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授

(やまうち・けいた)慶應義塾大医学部卒。医学部助手、看護医療学部助教授を経て、2005年から同教授、大学院健康マネジメント研究科教授。2008年から横浜初等部の開設準備室長を務め、2013~15年横浜初等部長。2021年常任理事(一貫教育校・体育会担当)。専門は医療政策・管理学、精神医学、慶應義塾史。慶應義塾福澤研究センター所員。博士(医学)。

塾内で「付属校」の意識はない

――主要な私立大学は2000年代に入って大学付属校の重要性を認識し、拡充してきましたが、慶應義塾大は以前から付属校からの内部進学者の比率が高く、他大学も慶應を意識しています。慶應の中で、付属校の位置づけはどう認識されていますか。

慶應義塾大の入学者のうち、一貫校の卒業生が占める割合は、2022年度で22%です。しかし、意外かもしれませんが、塾内では付属校という意識はありません。大学の経営のために一貫校をつくってきたわけではないからです。

これは慶應義塾の成り立ちに起因します。創立者の福澤諭吉は、これからの時代には、独立の気力のある人、科学的な精神を持っている人の育成が必要と考え、いろんな年齢の学生が混在して慶應義塾は始まりました。次第に年齢に応じた仕組みを整え、幼稚舎(小学校)ができたのは明治7(1874)年、大学部ができたのは明治23(1890)年で、明治31(1898)年には幼稚舎―普通部―大学部という、現在に至る16年間の一貫教育の形ができています。ですから、小・中・高の教員は「付属校」と言われると、嫌がります。大学の付属校ではなく、それぞれが対等という意識です。

――幼稚舎が一番早いので、母体という意識があるのでしょうか。

それよりも、小学校から大学までの全体が慶應義塾で、その課程の大切な一部を担っているという感覚です。

――各大学では、早い年代から付属校の教育を受けた内部進学者を、大学のDNAを受け継ぎ、核になる存在と位置づけることが多いです。慶應義塾では、どうですか。

1977年から93年まで塾長を務めた石川忠雄さんが、次のようにわかりやすく説明しています。慶應義塾には、変わってはならないものと、変わっていかなければならないものがある。変わってはならないものは独自の気風である。それを確かなものにするためには一貫教育の意義は大きい、と。

塾内進学者は、近年は2割ちょっとで変わっていませんが、戦前は4~5割いました。戦後、大学の規模が大きくなり、学生数が増えたことで、比率が下がりました。石川塾長は塾内進学者の割合を増やしたいと考え、92年に湘南藤沢中等部・高等部を開設しました。加えて、そこで新たな中高一体の教育を展開しようとしたのです。

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